はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

高級桟橋滑走路

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先日羽田空港のA滑走路に着陸した際に、D滑走路のジャケット工法を説明しやすい写真を撮ることができた。東京湾に突き出したD滑走路の南西側半分は、周辺環境への負荷をかけないために、多摩川の流れを遮らない桟橋形式が採用されている。そりゃもちろんむちゃくちゃにコストがかかっているんだろうけど、この滑走路によって格段に利便性が向上したことは多くの人が実感しているよね。ステンレスとチタンが用いられたジャケットの製作や、低空頭型フローティングクレーンを用いた据付作業などをちょこちょこ見ていたので、実際に使われている様子を上から撮れたことは、とてもうれしいな。

 

 

琵琶湖の水

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日本の古都・京都には、1890(明治23)年につくられた琵琶湖の水を市内に運ぶための壮大な規模の水路があり、今も現役の施設として市民生活の中に溶け込んでいる。明治維新によって首都機能が東京に移ったことで、当時の京都は著しく衰退しはじめていた。その危機感から、京都を近代的な産業都市として復興するために、水道、発電、防火用水、灌漑、舟運などを目的とする複合事業が断行された。

この水路は、大学を卒業したばかりの若手エリートである田邉朔郎が主任技師を務め、日本人のみの手でつくられたことで有名である。この事業を通じて、竪坑式のトンネル工事、水力発電、インクライン、鉄筋コンクリート橋などの「日本初」の技術が次々と花開いていった。古都を代表する伝統と格式のある禅院の敷地を、乱暴に思えるやり方で大胆に貫いている「南禅寺水路閣」からは、凋落に抗う切実さや新たな時代への熱量を汲み取ることができる。

以上のような内容を某プロジェクトに使う原稿として書いてみたんだけど、その最中ずっと「琵琶湖の水止めたろか、ボケ!」という滋賀ジョークに頭の中を支配されてしまい、たいへん困惑した。

 

 

拡大する社会のインフラ

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10年前に撮った瀬戸大橋の写真を引っ張り出す用事があったので、海を渡るってことを振り返ってみた。

20世紀後半のおよそ50年間、日本の国土開発は「国土の均衡ある発展」をキャッチフレーズとして、経済成長を前提とする量的拡大が行われてきた。それを考えると、日本を構成する北海道、本州、四国、九州の四島を、鉄道や道路で繋げた巨大プロジェクトは、当時の国土開発の象徴として経済的な効果以上の意味があるよね。今だったら、発想すらできない気がする。

あらためて考えても、特に「本州四国連絡橋」のスケールってすごい。多島海の瀬戸内海で隔てられた本州と四国を、多種多様な世界屈指の長大橋梁群によって結ぶというのは、壮大すぎるよねえ。しかも、3つもルートがあるんだもんなあ。