はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

不思議な高架道路

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水戸出張の翌日は土浦に移動し、無事に用務が終わった。帰りの電車まで少し時間が確保できたので、まち歩きを開始した。ところが、前日の慣れない革靴とスーツによるダメージは大きく、比較的早々にへこたれた。体調も体勢も整っていない状態では、見えるものも見えなくなるということを実感したな。

とは言え、たいへんクセのある道路構造物にばったり出会うことができたので、大満足。そこには階段とエスカレーターが付いており、その部分は桁の幅がやけに広い。一見すると、ヨーロッパの高架鉄道の駅部のように感じたのだが、どう見ても道路高架橋である。まさかバス停か?と思って階段を駆け上がってみると、そのまさかであった。なんでこんな高額そうなバス停が?というか、なんでこの規模の都市に連続高架橋が??と頭の中が混乱した。

帰宅後に調べてみると、土浦駅東口と国道6号を接続する「土浦ニューウェイ(土浦高架道)」という延長約3kmの高架道路であり、筑波で開催された1985年の国際科学技術博覧会に間に合うようにつくられたものであることがわかった。しかも「新交通システム」に転用する予定だったという記述も散見された。いずれにせよ、万博開催時にはシャトルバスをじゃんじゃん通して土浦市街の交通は阻害されなかったらしい。なるほど、ようやくこの道路の一筋縄ではない存在理由が腑に落ちた気がする。

ちなみに現在は、エスカレーターは動かされていないようだった。チラ見しかしていないが、道路の交通量もそれほど多くなさそうだ。維持管理とか、たいへんそうだなあ。

魅惑の水戸

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先週末は用務があって水戸に出張してきた。僕が住む千葉からは微妙に近くて遠いので、行く機会がありそうでほとんどなかったし、イメージもありそうでほとんどなかった街だ。このため、駅前に降り立ったときには衝撃を受けた。なんでかって言うと、地形の変化の豊かさに。

まずは、駅前のペデストリアンデッキがフラットではないことに驚いた。北側に向かって結構な高さを登るのだ。さらにそこから見える地形も変化に富んでいる。デッキの先はコンクリートの妙なフレームが残された廃墟感が漂う空地になっていて、高低差が露出している。ここにはかつて商業施設のLIVIN水戸店があったが、5年ほど前に取り壊されてこの状況になったとのこと。

こんな風景を見せられたのに、屋内で真面目に仕事をしていたら、やはりストレスを感じてしまうよね。夕方に2時間弱の空き時間が生まれたので、速攻でまち歩きに繰り出した。そうすると、たいへん面白い土地であることがじわじわ感じられて、これはあらためて散策する必要があるなあと思った。出張後に少し調べてみると、ブラタモリにも取り上げられていたようだ。いやあ、ぬかっていた。

もうひとつわかったことがある。それは、慣れない革靴とスーツで調子に乗って街を徘徊することは、たいへん危険だってこと。翌日は足の痛みがひどく、業務に支障が出かかってしまった。

大型複合トマソン物件

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秩父の道の駅に立ち寄った際、視界の端に気になるものが飛び込んできたので、フラフラと近づいてみた。それは「純粋橋」と言っても差し支えないトマソン物件だった。もちろん、一見してかつて鉄道を跨いでいたのだろうことは推測できたのだが、見れば見るほどときめいてくるのだ。

そもそも橋というものは、障害となるなにかを跨ぐものであるが、この橋は何も跨いでいない。純粋に路面を宙に浮かせているだけである。しかも、その側面にある階段は、その上に作られた斜路によって完全に無用の長物と化している。そればかりか、自転車や歩行者はなにも障害がない地面の上を悠々と通ることができるため、無駄な位置エネルギーの浪費を要求するこの斜路を通る者はまずいないだろう。

実際にこの橋の上の歩道からは、秩父駅に接続していたのであろう二股に分かれた線路敷跡が残されていた。武甲山から生み出される石灰石を使ったセメント関連の工場と結ばれて、なにかが運ばれていたのだろう。いずれちゃんと再訪して、いろんな痕跡を確認したいところだね。

なお、ここで解説するまでもないけれど、『超芸術トマソン』とは赤瀬川原平らが見出した鑑賞者がその対象の価値を決めるという姿勢を示した概念である。その中で、本来の役割を失って無用の長物と化した不動産が「トマソン」と呼ばれている。その語源は、鳴り物入りで読売ジャイアンツに入団したけど三振の山を築き上げたという伝説の助っ人外国人「ゲーリー・トマソン」に由来している。