はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

過剰水門

f:id:hachim:20180630191507j:plain

1983(昭和58)年に完成した六角川河口堰を見に行くにあたり、台風時の高潮被害から地域を守るための「防潮水門」であることは心得ていた。ところが現地で実物を見てみると、想像をはるかに超えた過剰な雰囲気が施設全体に漂っていてのけぞった。堰幅226.2m、ゲート高12.0m、門数9門という規模もすごいが、門扉の構造が上下流面ともに仰々しく、機械室もでかい。そこに立ち並ぶ螺旋階段も鬼気迫るものだ。このワールドクラスのかっこよさには終始大興奮。ちなみにこのことは、(かつて)水門写真家の佐藤淳一さんも同様の印象を持たれている。

その様子から有明海の干満差は侮れないってことは感じ取れたものの、なんとなく腑に落ちなかった。そこで少し突っ込んで調べてみると、もともとは防潮機能に加えて農業用水の確保も目的とされていたことがわかった。つまり、進行方向が明確ではないほど河床勾配が少ない六角川流域の根本的な水不足を解消するために、河口堰を閉じることで河口部を淡水化し、水資源を確保しようとしていたのだ。ところが有明海沿岸のノリ養殖や漁業への影響が問題視されて論争が起こり、高潮時の防災対策以外にゲートが閉められることはついぞなかったようだ。

そんな時代の価値観変化の歴史が背景にあることを知ると、ポテンシャルが十分発揮できないまま佇むこの水門がより愛おしく感じられてくる。またあらためて観に行かなきゃね。

【参考】
Das Otterhaus 【カワウソ舎】|六角川河口堰
環境問題シンポジュウム講演論文集|六角川流域における水秩序と水環境管理

眼鏡橋両岸暗渠

f:id:hachim:20180627164048j:plain

長崎は見どころがありすぎて困る。数日間の滞在では訪問先を絞り込むことが困難なレベルだ。このため、これまで少し腰が引けていたのだが、このたびチャンスが訪れて一泊することが実現した。その初日、ついでに眼鏡橋くらいは見ておかねばねえと思って、目的地に行く前に立ち寄った。眼鏡橋本体もさることながら、それを守るためのバイパス水路が気になっていたので。

1982(昭和57)年に起こった長崎大水害では、崖崩れや土石流などによって極めて甚大な被害が生じた。中島川も氾濫して、文化財登録されていた石橋群も全半壊しつつ、河川阻害物となってしまった。このことから、防災上の観点から中島川の河川断面を増やすことが急務となったわけだが、かろうじて一部流失に留まった眼鏡橋などを文化財としてどうやって保存するかも議論された。その結果、両岸の地下をバイパスさせて必要な断面を確保するとともに、石橋群を現地保存するという方法が選択された。

もちろんとてもお金がかかったのだろうけど、地域文化を継承するって決断をしたことはとても重要だよね。これによって、長崎の方々はアイデンティティーを大切にすることが意識化できたんじゃないだろうか。そんな風に妄想する一方で、現時点では「ちゃんぽん」や「わからん(和華蘭)」に代表される長崎の地域文化のことがまだ理解に至っていないので、もう少し落ち着いて考えてみたい。

ちなみに現地の方からの強いオススメもあって、早朝の中島川をシーカヤックで体験したわけだが、最後の仕上げとしてこの暗いバイパスに潜入して大興奮したことは言うまでもない。本当に最高の長崎体験になったよ。あ、これも仕事なんだからね。遊んでいるように見えるかもしれないけど…。

長崎でのカヤック体験はこちらから:シーカヤック長崎

海底観察タワー

f:id:hachim:20180623213913j:plain

玄界灘に面する波戸岬の「唐津市玄海海中展望塔」に立ち寄ってみた。波戸岬は「日本本土最北西端」なんだそうな。そんなこと言われても全くピンとこないが、高らかに一番を名乗る姿勢は尊重したいね。

あたかも水族館のように海底約7mの様子を観察する体験は、魚類に強い興味はなくとも十分楽しいものだった。でも、昨年に外房の勝浦で同様の体験をしているので、新鮮さはそれほど感じなかった。それよりもなんとなく危惧しているのは、今回の訪問をきっかけとして、海中展望塔シリーズをコンプリートしなければならないという強迫観念に取り憑かれてしまうのではないかってこと。全国で7つしかないだけに、がんばればなんとかなりそうな気がしちゃっているので、たいへんまずい。行きにくいところが多いというのに。

それにしても、南側が日本最大の干潟の有明海、北側が急峻な海食地形の玄界灘という佐賀県の二面性は、とても面白い。本日は一日中ひとりで佐賀県内をドライブしたことで、その感覚が骨身に染みたな。