はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

ちがい探し

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先週、多摩川に架かる「是政橋」を見てきたのだが、これほど刺激的で貴重な楽しみ方を提示してくれる橋も珍しく、ワクワクしているのかムズムズしているのか自分でもよくわからない興奮を伴った楽しい体験をすることができた。それは上下線の「ちがい探し」だ。「まちがい探し」ではないよ。

上流側の上り線(写真左側)は1998(平成10)年、下流側の下り線(写真右側)は2011(平成23)年に架けられた。年の離れた兄弟なんだけど、とても似ている。とても似ているんだけど、年齢の違いはさまざまな部分に現れている。さとり世代としていろんな我慢を重ねてきた弟が、幼少期にバブル景気を体験した兄を立てるために、ものすごく努力して寄せてきているのだ。そこをじっくり汲み取り、愛でていきたい。

最大の違いは、構造形式の違い。もちろん大まかな括りとしては鋼斜張橋ってことでいいのだが、上り線は3径間連続の鋼床版鋼箱桁斜張橋であるのに対して、下り線は2径間連続のコンクリート床版鋼鈑桁という合成斜張橋に2径間連続鋼床版鈑桁橋を加えた橋なのだ。何を言っているのかわからない方はすっ飛ばしても問題ないのだが、ここは大きな興奮ポイントである。

とにかく径間数の合計が異なる事態は、見た目の違和感に直結している。上の写真をよくみると、上り線だけ中央の橋脚がないことがわかるだろう。さらに目をこらすと、下り線のケーブルが一段少ないという衝撃的な事実もわかるだろう。そして、桁の裏側を見に行くと桁形式の違いが一目瞭然だ。むしろ、よくここまで桁のフォルムを合わせてきたなあと感心する。類例に、使っている材料が異なるのに同じシルエットというケルンのドイツァー橋がある。年代の離れた隣接兄弟ってのは、なかなかたいへんだね。

主塔をつなぐ水平材の青味の微妙な違いも気になる。これはチタンとアルミという材料の違いが現れているという。塗装ではなく、蒸着によるメッキということなのかな。ちなみに水平材にしてはやけに高さがあって重々しいと思っていたのだが、青い部分はカバーとしての冗材のようだ。

そのほかにも、歩道幅員が違ったり、高欄の材料や形状や仕上げが違ったり、灯具の違いから照明柱のアームの長さが違ったりと、兄弟のさまざまな違いを発見することができるだろう。都の財政難を背景とする弟の努力は尋常ではなく、最先端技術を駆使しながら工事費を半分近くまで圧縮したという。弟すごいぞ、よく頑張った。

今回は整備に深く関わった方に詳細な解説をいただきながら鑑賞することができたので、違いの理由も良くわかり、とてもありがたかった。その際に教えていただいた『東京の橋100選+100』というつい最近出版された本に、この橋のこともしっかり載っている。やや専門性が高いけど、大量の東京の面白い橋が大量の写真とともに掲載されているので、辞書的な使い方もできるし、どこから読んでも楽める本だよ。

東京の橋100選+100

東京の橋100選+100

 

信仰心の芽生え

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立山カルデラへの潜入体験って、本当に貴重である。スケジュールを確保して現地に乗り込んでも、雨が降るとそれだけで立ち入り禁止になるわけで。幸運なことに僕は過去に二度ほどカルデラ潜入に成功したのだが、つい先日は雨でNGになってしまった。

どん底の失意の中、芦峅寺にある立山信仰の拠点「越中國一之宮雄山神社中宮祈願殿」を訪れたのだが、この境内がとても荘厳で張り詰めた空気だった。もちろんすっかり気圧されてしまい、素直に拝殿にて参拝するに至った。

その直後に何気なく横の方を見たら、樹齢500年とも言われる杉の木立の隙間からチラリとコンクリートが見えた気がした。目をこすりながら獣道のようなルートを通って足早に近づいてみると、霧の中に真新しい砂防施設が佇んでいるではないか。中央に鋼製スリットを有する直線的なフォルムの堤体と、そこから斜めに配置された段差のある流路工がとてもシャープでかっこいい。きっと阿弥陀如来か不動明王かのどちらかが、立山砂防の代わりとして僕に見せてくださったんだと思うな。ありがたや、ありがたや。

その後に立ち寄った立山博物館展示館で学芸員さんに立山信仰のいろいろを解説していただいたのだが、本当に素晴らしい体験となった。立山カルデラに入れなかった無念さを一瞬忘れるほどに素敵だったよ。いつの日か、立山に登ってみようかな。

 

崩落したジェノバの橋

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2018年8月14日、イタリアのジェノバで「ポルチェヴェラ高架橋(Polcevera Viaduct)」が崩落した。上の写真にある全てのケーブルと桁と塔が一瞬にして崩れ落ち、通行車両に乗っていた方や桁下の住民などが43名も死亡するという、とても痛ましい事故だ。もちろん僕も大きな衝撃を受けて、数日間ふさぎ込んでしまった。何しろこのユニークな姿に興味を持って、2012年の冬に訪れたことがあるので。(過去記事:おかしな斜張橋どちらが先か

この事故について、先月末に現地を訪問したドイツ在住の構造エンジニアの増渕さんが、詳細かつ明快なレポートを書いてくださったので、みんなしっかり読もうね。偉大な構造家であるモランディに対するリスペクトがあるからこそ、このような見方が獲得できるのだろうね。僕としては、そのレベルに到達していることがリスペクトの対象なのだが。

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あの日僕は、出張先から戻る機内でtwitterのタイムラインをダラダラと眺めていた。そこに不十分な内容の速報が出てきて、まさかこれはあれのことか!と慌てふためいて検索しまくったことを憶えている。機内のwifiがちょっと重くて、焦りからイライラしちゃったけど。

事故直後から、落雷による損傷が引き金となった説、設計上の問題、財政事情による維持管理体制の不備、民営化に伴う管理会社のビジネス問題、マフィア絡みの低品質コンクリートを使用した説、などなど、様々な言説が飛び交っていた。基本的には維持管理面の問題が大きいものの、さまざまな要素が複雑に絡み合っていることは間違いなさそうだ。つまり、誰が悪いとか何が悪いなどと、安直に帰結できない話であることはわかった。社会制度面の話はさておき、構造物としての話はエンジニアの見解を伺いたいと思っていたところ、増渕さんは8月末の段階でしっかりまとめてくださった。この記事のおかげで、僕の気持ちもずいぶん落ち着いたんだよな。

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エンジニアリングと社会の接続って、本当に難しいと思う。特に専門性が高い対象ほど、自分には関係ないという気持ちが芽生えてしまい、ついつい距離が離れちゃうもんね。つい先日も防災関連のすごい専門家とお話しさせていただく機会があったのだが、その方は素人に詳細な情報を伝える必要はない、むしろ絞るべきだという立場をとっておられた。それはそれでわかる気もするけど、本当にそれがいいかは疑問に思った。やはり、越境とか接続とか、そこら辺を模索する人間はいてもいいんじゃやないかね。なんの業績にもならないけど、やりがいだけはあるんだよな。