はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

第10回記念大会によせて

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平成最後の年末ってことで、テレビ番組などではこの30年を振り返る「平成総決算」的な特集がたくさん組まれているように感じる。それはそれで大切なことだとは思うけど、僕としては自分が体験したドボクの風景を表彰する『私的ドボク大賞』が、なんと10回目を迎えるって事実がよほど重要だ。極めて個人的なことだけに、10年の継続的なストックは単なる思い出を越えて、自分の思考の履歴が滲み出たかけがえのないデータベースとなっている。大げさな言い方だけど。そんなわけで、今年の審査の前に、これまでをだらだらと振り返ってみたい。あくまでも自分のために。

 

[2009年 第1回:東京港臨海大橋の一連の架設]

最初はおそらく、タモリ倶楽部の「空耳アワード」のようなノリを目指しながらも、何のビジョンもなくはじめたんだと思う。ノミネート作の内容を見てみると、現場見学ものが多数を占めている。当時はずいぶん体調が悪かったので出不精になっていたが、動いている現場を眺めて、意識的にインプットとアウトプットに取り組もうとしていたことを思い出す。ちなみに本橋が完成して「東京ゲートブリッジ」となって以降、なぜかほぼ見に行っていない。

 

[2010年 第2回:リエージュ・ギユマン駅] 

この年の秋から1年間、オランダのアイントホーフェンで暮らすことになった。最初のうちは引きこもりがちだったのだが、観るべきものに囲まれていることに気付き、自らを鼓舞して外に出るようにした。それが良かったのだろう、徐々に自分の視野が広がっていくという実感を得ることができて、出かけることが楽しくなってきた。その中でもカラトラバによるリエージュ・ギユマン駅は、外出モチベーションが高まる大きなきっかけとなった。

 

[2011年 第3回:ミヨー橋]

東日本大震災の直後はオランダのアパートに激しく引きこもっていたのだが、4月半ばからその遅れを必死に取り戻すように、様々な都市や地域を巡り歩いた。とてつもない量と質の景観にどっぷり浸かったこの時期は、その後の自信の獲得につながった気がする。実際に2015年には、書籍『ヨーロッパのドボクを見に行こう』として具体化したわけだし。やはり「見る」ことは大事だね。その一方で、賞の審査は雑なものだった。ミヨー橋ならば満場一致で通るだろう、みたいなノリだもんな。

 

[2012年 第4回:池島炭鉱]

この年から審査の傾向が少し変わってきた。それは審査方針を考えるようになったという、わりとあたりまえのこと。土木学会誌表紙のデザインを担当するようになったことが大きく影響したのだと思う。自分がなにを見てなにを表現するのか、一歩引いて考えるようになってきたのだろうな。池島炭鉱が大賞に選ばれたことは、対象の魅力に加えて「土木観光」の視点を強く意識しはじめたことが現れたんだろう。

 

 [2013年 第5回:小谷村砂防ダムツアー]

まだインフラツーリズムという言葉は生まれていない時期だが、ノミネート作を概観すると、明らかにそちらの方向を意識しているラインナップだ。さらに単体の構造物からは少しずつ離れて、地域のインフラシステムへの視点が強化されてきた。大賞を受賞した長野県小谷村のツアーは、現時点でも突き抜けているツアープログラムだと思う。いやほんと、また参加したい。

 

 [2014年 第6回:常願寺川の治水・利水施設群]

どのノミネート作品が大賞になってもおかしくないという年だった。なにしろ、見に行った量がすごかったので。富山方面のプロジェクトに参加したのはこの前年のことだけど、それを起点に連続的に展開して関係が強化され、今でも年に数回は訪れる場所になった。その意味でも常願寺川が大賞に選ばれたことは芯を食っているように思う。立山カルデラに限定しなかったことも、結果的によかったのかな。

 

[2015年 第7回:陸前高田の仮設コンベア]

ツアー参加という機会をいただいたことで、遅ればせながら、ようやくあの震災に向き合うことができた。災害をしっかり心に刻んで継続的に捉えようという、個人的には極めて重要な体験となり、その後も様々な人災天災の被災地に触れるようになった。絞り込んだ他のノミネート作品も素晴らしいのだけど、やはり自分自身の意味合いを重視した。他者が評価に関与しない閉じた評価システムのいいところだね。

 

[2016年 第8回:アルプスのハイキングコースTrutg dil Flem]

この年はあまり出かけなかったのかもしれない。というか、前年に出版した『ヨーロッパのドボクを見に行こう』のおかげで、インプット量よりもアウトプット量の方が上回ったのだと理解している。審査においては、ミヨー橋のときと同様に、まあこれだよねというやや雑な雰囲気だった。とは言え、渓流の散歩道とそこに架かる橋梁群は本当に素晴らしく、多くの人に体験してほしい。日本からは行きにくいけど。コンツェットから直接お話を伺えたことは、奇跡的に貴重な体験だったな。

 

[2017年 第9回:湘南モノレール]

昨年は企業情報誌やウェブマガジンなどの連載ものを担当する機会が増え、真剣に取材をするようになった。質が高いインプットと質の高さを求められるアウトプットがバランスすることで、風景の捉え方がバージョンアップできそうな気がしているのだが、どうなんだろうか。湘南モノレールはオフィシャルwebマガジンに記事を書くにあたりやたらと乗りまくったうえに、ドイツのヴッパータール空中鉄道と競り勝ったのだから意義深い。もちろん自分の中の意義だけど。

 

ということで過去9回の『私的ドボク大賞』を振り返ってみたわけだが、やはり大きな流れを感じる。さて、今年はどうなるのだろうか。例年通り、期待している人がいるかどうかなんて気にすることなく、自分の言動を振り返りながらしっかり評価したい。

グローバライズのふり

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本当にいまさらなんだけど、2018年3月31日〜6月4日に行われた『土木展 in 上海』について。何度もブログにメモを残しておかねばと思っていたのに、ズルズルしてしまったことを反省しつつ。

この展覧会は2016年に六本木の21_21 DESIGN SIGHTで開催された『土木展』の海外巡回バージョンだ。石炭の工場をリノベーションしたという完成間もない藝倉美術館(MAM)の雰囲気が、本企画にぴったりの空間を提供していた。コンクリート壁面の荒々しいテクスチャー、緩やかに仕切られた空間のスケール感、明るさのコントロールなどが作品群を引き立てており、ストレスなく存分に楽しめたな。さらに、いくつもの作品がアップデートされていて、僕が言うのもおこがましいけど、全体的に土木への向き合い方がこなれてきて、全体的にパワーアップしたという印象を強く受けた。展示直前のドタバタ劇は、大陸らしい凄まじさだったらしいけど。

その中でも、土木写真家の西山芳一さんが上海での撮り下ろし作品も加えて大幅増量されたことは、とても効果的だったように感じた。つまり、土木の展示の魅力を高めるポイントは、「ローカライズ」ってことなのではないかってことを、グローバライズ中に感じたのだ。まあ、近代土木技術は世界共通の普遍的なことも多いけど、実際のところは結局、その地域やその場所のことを読み切って、一品ものとしてカスタマイズされるので、当然のことなのかもしれない。このことは、夏に佐賀で開催されたフランチャイズ企画『すごいぞ!ボクの土木展』で確信するに至ったな。

あと、僕自身が中国デビューというか世界デビューしたことに、ちょっと興奮した。山手トンネルを延々と流し続ける映像を、立ち止まって、あるいは、椅子に腰をかけてじっくり観て下さっている方の姿には、とても感激した。ご案内くださった担当の方には、最後のリストにもちゃんとクレジットされているよと教えていただいた。関係者のみなさま、貴重な体験をさせていただき、どうもありがとうございました。

 

爆心地にて

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先日長崎を訪問したとき、原爆資料館、爆心地公園、平和公園、浦上天主堂など、原爆が炸裂した直下のエリアを巡ってみた。今年の夏に立山防空壕に行った際に、爆心地周辺にも行かねばと感じたので、ちょうどいいタイミングとなった。

やはり現場に行くと、リアリティは確実に高まる。もちろんその瞬間の爆風や熱線、その後の放射線の影響などを正確に思い描くことなどできないが、想像の手がかりを得ることは自分にとって重要なことだ。移設された浦上天主堂の遺構、埋立後に掘り起こされて現地展示されている当時の地層、熱線に晒された石を転用して再整備された下の川の護岸などとともに、500m直上で「ファットマン」が炸裂したイメージを噛みしめた。

原爆資料館はそれなりに時間的ゆとりを確保しておいたほうがいいよ。僕も予定時刻をすっかり超過しちゃったし、気持ちの落ち込みも尋常ではなかったし。そうそう、外国人がとても多く訪れていたように思えたな。世界の歴史に刻まれた大事件だもんな。