はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

階段井戸

f:id:hachim:20190509195213j:plain

3月にインドに行った際に、たいへん幸運なことに、ニューデリーの高層ビルが建ち並ぶエリアにひょっこり存在する階段井戸「アグラーセン・キ・バオリ」に連れて行っていただいた。地表の風景とのコントラストが凄まじいこの階段井戸からは、インドの構築環境のすごさを思い知った。

そもそも階段井戸というインフラの存在を知ったのは、クリストファー・ノーランによるバットマン映画『ダークナイト ライジング』(2012)の中で、主役のブルース・ウェインが幽閉される「奈落」と呼ばれる場所がきっかけだ。このロケ地になったのが、インド西部のラージャスターン州ジャイプル近郊にある階段井戸「チャンド・バオリ」だ。その魅力にすっかり魅了されてしまい、ネット上で写真を検索してはニヤニヤ眺めていた。

2年ほど前には「The Vanishing Stepwells of India」という大型本を入手するに至り、インドにはこんなにもたくさんの階段井戸があるのかと、やはりニヤニヤ眺めていた。この書籍は写真集としては少し不満があるけれど、およそ80の階段井戸について写真とともに解説が掲載されていて、資料的価値は高いと思うよ。それぞれの緯度経度も示されているし。インドは気候や地形を考えてみても、水源の確保がたいへんそうだなあと思うが、こんな施設がたくさんあることを知るとその印象がいっそう強まるね。

「アグラーセン・キ・バオリ」は、地下なのに見事なアーチや柱などの建築表現がしっかり施されていて、なんともムズムズする。そのあたりからも、莫大なエネルギーを投じてつくり上げられたってことが感じられる。14世紀頃に再建されたものらしいが、前述の書籍には5千年前の伝説に遡るかもなんて記載もあったりする。そして現在では、ものすごく多くの人々の憩いの場になっていたよ。下の方はコウモリの糞の臭いがきつかったけど、なかなか得がたい素晴らしい体験をさせていただいたなあ。

The Vanishing Stepwells of India

The Vanishing Stepwells of India

 

 

トロハの水路橋

f:id:hachim:20190430165805j:plain

スペインの偉大な構造エンジニアであるエドゥアルド・トロハ(Eduardo Torroja, 1899-1961)によるアリオスの水路橋(Acueducto de Alloz, 1939)は、たいへん感動的な構造物だった。80年前につくられた軽快でシャープなコンクリート構造物は、構造面や経済面の合理性と造形的な美が高次で結びついている。まさに「構造デザイン」のお手本だね。

この水路橋の鑑賞ポイントは、どうやって少ない材料で水が漏れない水路を空中に通したか、ということ。例えば、9.4m+18.9m+9.4mという構造的にバランスに優れたユニットを連続させたり、その上縁部に後から張力を導入したケーブルを配置して軸方向の圧縮力を生み出したり、外側に鉄筋を配置した薄いU字断面のコンクリート桁の上部をターンバックルで緊張することで断面方向の圧縮力を生み出したりしているという。つまり、コンクリートがひび割れてはまずいところをギュッと締め付けて、全体の軽量化つまり経済性の向上を図っているのだ。洗濯ばさみやコンパスにも見えるX字型の細い橋脚は、水路をしっかり挟み込むように支持しており、結果的にこの橋の外観に強い個性を与えている。

この頃のスペインは、ずいぶん貧しかったようだ。なにしろ1936-39年のスペイン内戦によってすっかり疲弊していたわけで。書籍『エドゥアルド・トロハの構造デザイン』における川口衞氏の解説では、経済性に関するトロハの言説として「限られた予算の中でなんとか計画を実現しようとする懸命の努力の中から、しばしば優れた構造のアイデアが出てくるのだ」と書かれている。強力な制約が新たな技術や価値を生み出すという事実が、この水路橋からも読み取れるね。

 

エドゥアルド・トロハの構造デザイン

エドゥアルド・トロハの構造デザイン

 

 

秩序の中の自由意志

f:id:hachim:20190420185104j:plain

ニューデリーで出会った衝撃的な室外機コレクション。グリッド状に整えられたブルータル建築のファサードに、室外機が自由奔放に配置されている。よく見ると窓枠や塗装もオリジナリティに溢れているではないか。その様相は、まるでユーザーの使いこなし方の展示会である。現地で眺めたときはその曼荼羅的な見た目に大興奮したわけだが、帰国して日を追うごとにインドのありようと、自分が抱いているモヤモヤしたイメージを象徴しているのではないかという気持ちになってきた。

ここにあるのは、計画された秩序の中で、ふつふつと沸き立つ自由意志と多様性だ。しかもどこかに狂気のようなものを感じる。これって、ニューデリーの街そのものの構図と一緒じゃないかね。都市計画はやたらとビシッとしているのに、そこで繰り広げられている交通の状況はカオスでしかないわけで。詳しくは知らないが、もしかするとカースト制度由来の分業システムの中で繰り広げられている自由さも、同様の構図なのかもしれない。それはそれとして、最近の自分が魅力を感じている人間が構築した環境ってのは、ここら辺に源泉がある気がしてならない。そこらへんは時間をかけてじっくり取り組みつつ、いずれにしてもインドにはあらためて現実逃避のために行かねばなるまい。

先のインド訪問では予習する時間をほとんど確保できなかったが、かえって新鮮味のある状態で目の様子を衝撃とともに受け入れることができた。しかも、海外旅行につきもののストレスがほとんど無い状態で。なにしろ、ほぼ全ての行程をアテンドしていただき、現地での移動から食事のメニュー選びに至るまで、余計なことを一切考えずに済んだのだ。こんな旅ははじめてだったな。

上の写真のビルを通り過ぎる際、アテンドしてくださった方に「あの室外機はどうですか?車止めてもらいますか?」と言われた。その時は遠慮の気持ちがあったせいか「いや、わざわざそんな、結構ですよ」なんて大人のふりをしてスルーしてしまったのだが、あまりにも印象に強く残ったので、無理を言って引き返していただいた。都市鑑賞には立ち止まり戻る勇気も必要だもんね。僕の気持ちを見事に汲み取ってくださった彼女の気配りは、本当に素晴らしかったな。関係者のみなさまには、感謝してもしきれない。