はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

近江の姉弟

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これまでヴォーリズと言う名前は、大阪の大丸心斎橋店本館の建て替えの話題で耳にしていたが、どんな人物なのかを調べたことはなく、戦前の外国人建築家なんだろうという認識を出ることはなかった。ところが、滋賀への出張時にたまたま宿をとった近江八幡の旧市街を散歩したところ、ヴォーリズ建築第1号というアンドリュース記念館に出くわし、そこから芋づる式に衝撃の情報を得ることになった。

アメリカのカンザス州に生まれたヴォーリズは、大学卒業後にキリスト教青年会の活動をすべく英語教師として来日し、近江八幡に居を構えてキリスト教の伝統団を立ち上げ、本業だった英語教員はクビになり、専門教育をがっつり受けたわけでもないのに建築設計事務所を立ち上げ、後に近江兄弟社としてメンソレータム社の販売代理店になる会社組織を立ち上げ、結核療養所を立ち上げ、賛美歌などの楽曲制作も行いつつハモンドオルガンの輸入代理業務を行い、日本国籍を取得し、敗戦後にマッカーサーと近衛文麿との仲介工作を行い、近江八幡市名誉市民第1号になり…、といった具合にフォローしきれないほど多様な方面に才能を発揮して数多くの事業を手がけた、マルチな人物らしいのだ。

いやはや、この方の人生は凄まじいな。地域にとっての大偉人であることは、十分伝わってくる。根底には近江商人を育んだ風土との親和性もありそうな気がする。どうやら小説などでも取り上げられているようなので、今後は注意を払って近接してみようかな。

ついでに子供の頃から疑念も解けた。近江兄弟社の「メンターム」は、ロート製薬の「メンソレータム」のコピー商品的なものかと思っていたのだが、そんな簡単な話ではなかったのだ。ヴォーリズが亡くなった後の近江兄弟社は、社会環境の変化のあおりを受けて経営が悪化し、メンソレータムの販売権を手放してそれをロート製薬が取得し、ようやく大鵬薬品の支援を受けて再建の道が開けたものの販売権の再取得はできず、従前の生産設備を再稼働させて「メンソレータム」の略称として商標登録していた「メンターム」で売り出したのだという。まあ類似商品と言えばそうなのだろうが、あの緑色のパッケージに描かれた羽根飾りキッドとリトルナースは姉弟あるいは兄妹なんだと思うと、ずいぶん印象が変わってくるね。

橋梁景観とは別の話

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波形鋼板ウェブを用いたエクストラドーズド橋である近江大鳥橋を再訪した。まあ前回の2004年時点は建設中だったので、完成後の姿ははじめてだ。まるでエヴァンゲリオンに出てくる使徒のようなエグみのある造形は衰えていないどころか、凄みを増していた。

それは別として、なにやら不思議かつ不可解な印象を抱いた。15年前には橋梁のインパクトだけに目を奪われたが、落ち着いて眺めてみると、谷間の平場にあってしかるべき生活の様子が全く感じられないのだ。さらに近江大鳥橋下方の高架橋はできたての印象もないのに供用していないし、カーナビの地図にもGoogleマップにも載っていない。大きな違和感を抱きつつ検索してみると、すぐにその理由がわかった。

ここは下流に建設予定だった水道用水の水源確保を含む多目的ダムの大戸川ダムによって水没するエリアで、元住民の方々への補償はすっかり完了しているのだという。ところが、2005年に実施された国の公共事業の見直しによって大戸川ダムの建設が凍結されたものの、地元自治体はその決定に反対して付け替え県道の工事は進んだ。その後、国は治水ダムのみとして常時は貯水しない方針が打ち出したが、滋賀県などが建設反対の立場に転じてやっぱり凍結となった。さらに、今年の4月には県がダムによる治水効果を認めて建設再開の可能性を示唆したりと、極めてややこしい状況になっているらしいのだ。いやこの経緯でいいのかね、実際のところ僕の理解も追いついていない。

財政状況や災害対策などの社会環境が大きく変化する中で、地域住民をはじめとする関係者の方々の考え方も大きく揺れ動いているのかもしれない。そして、この風景があるべき姿に落ち着くまでには、さらなる時間が必要なのかもしれない。橋を見に行ったはずなのに、それどころではなくなってしまった。

熱海らしさ

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全く知らない町でも、意図的に自分の感度を上げて1時間くらいフラフラ歩き回っていると、なんとなくその町の特性が体に染みこんでくる気がする。次第に発見が増えていくというか解像感が増すというか、ともかくその街の風景の見え方がクリアになっていく感覚。コツを得てようやくこれからと盛り上がってきたところで、たいて時間が尽きてしまう。魅力的な眺めが満載の熱海であっても、やはりそのくらいの時間を要した。まあ今回は先に暑さでバテてしまったわけだが。

一時期の低迷期を経て人気がV字回復してきているという熱海は、思っていた以上に高低差が凄まじい土地だった。最盛期だったというバブル経済期前の雰囲気も、そこかしこに色濃く残っていた。無理やり接続された道路や路地の空間、昭和後半に建てられたであろう建物の地形をしれっと無視しているファサード、地形を無視しきれないディテールのおさまり、ようやくはじまった新陳代謝など、歩いている間に引き込まれたポイントがいくつもあった。

おそらく複雑な地形だけに複雑な土地形状になり、さまざまなスキマが発生しやすいのだろうね。水平方向にも鉛直方向にも豊かな様相で。そんな立体的なスキマに生じる現象をコレクションするように眺めていくと、もっともっと面白くなるんだろうなあと、後日写真を見返しながらようやく意識化できた。そして、上の情報量が多い写真が、僕の体験した熱海を凝縮して表象しているように思えてきた。取るに足らない街並みの写真のようだけど。

こうやって再訪したい街が増えていくんだよな、すでにもう回りきれないくらいに。