はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

地形の記憶


父親の仕事の都合で、幼年期に長野県松本市で過ごしていたことがある。数年前に松本を訪れたついでに、30年以上前のかすかな記憶を頼りに市内を散策してみた。
行く前は色あせた断片的なシーンしか思い出せなかったのだが、現地に行ってみると“かつて自分がそこにいた”という実感を得ることができた。それは、なんとなく不思議な体験だった。

まずは有名な松本城。お城自体はそれほど憶えていなかったため、はじめて見るのと同等に感激した。敷地内はとても居心地の良いシンプルな公園になっており、そこを散策しているうちに、お堀脇の藤棚のそばにチープな遊具やチープな売店があった情景を思い出した。それらはどうやら撤去されたらしい。いい判断だと思う。
次に、旧開智小学校。和洋折衷の建築として有名だが、あらためて見てみると、なんとも不恰好。風格を感じさせないハリボテっぽさが気になる。残念ながら全く記憶に残っていなかった。

旧開智小学校の脇のゆるい坂を下ってから振り返ってみると、震えがきた。突然、坂の情景を思い出したのだ。記憶の中の坂道は、もっと急勾配でもっと広い幅員だったが、たしかにこの道だ。これには感動した。
横に目をやると、板塀に囲まれた古い瓦屋根の民家がポツンと残されていた。じっくり眺めているうちに、また記憶が戻ってきた。板塀と赤く塗られた雨樋や部分的なトタンが続くかつての街並みが、坂道の記憶とセットになって、タイムスリップしたかのように鮮やかに蘇ってきた。

そして、かつて自分が住んでいた場所を絞り込んでいった。手がかりは、ツタで覆われた写真館の裏手、家の前は遊び場にしていた砂利道、家の裏はジャンプするのが怖かったドブ川というばらばらの記憶で。どれも残っていないだろうと思っていたのだが、全てを見つけることができた。どれも想像より小さかったが。
住んでいた家自体は変わっていたし、隣地は駐車場になってたりもしたので、ビタッと決まったわけではないけど、とてもスッキリした気分になった。
さらにその近辺を歩き回り、次々といろんな記憶が呼び起こされた。裏手の古い民家の様子、タクシー会社の駐車場の様子、民家の間の小さな抜け道の様子。

最後に表通りに出てあたりを見回し、はっきり自覚した。かつて札幌でマンションを買ったときに山の眺めに異様に固執した理由は、美しい山々に囲まれた松本盆地で過ごしていたからだということを。

地形は記憶に根強く留まるようだ。それは表層の情報ではなく、心の深いところに影響する体験なのだ。