はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

親しまれる工場


ドイツのデュイスブルクにあるランドシャフトパーク(Das Otterhaus 【カワウソ舎】:ランドシャフトパーク)に行ってきた。先日訪れたフェルクリンゲンと同じように、閉鎖した製鉄所を保存・活用した有名な事例。この2つを今月立て続けに体験してきたので、両者の違いには敏感にならざるを得ない。だって、明らかにコンセプトが違うようなのだから。
フェルクリンゲンは鉄ができるまでの過程をクールに学習できるよう、ある程度のストーリーを構築してシークエンスを組み立てていくというアプローチを取ったのだと思う。ここではエンジニアリングが中心のストーリーになっていて、周りのインダストリアルな風景はそれをサポートする視覚的なシークエンスに組み込まれる。訪問者は緩やかに誘導されたルートに乗っかって空間を体験し、最終的にはその学習効果の有無で評価されることになる。
かたや、ランドシャフトパークでは、エンジニアリング的観点は横に置いておいて、工場をいったん形態や場所などでゾーン分けし、それらをエレメントとする公園全体のマスタープランをつくって進めることにしたのだろう。訪問者は本当に自由。だって公園なんだから。
実際のコンセプトがどうなのか調べていないけど、まあ感想だと思って流してください。ともかく、両者のコンセプトが異なっているおかげで、大きく雰囲気が違う2つの廃製鉄所が体験できるのだから、僕にとっては願ったり叶ったりだ。
今日訪れたランドシャフトパークは、本当に市民から愛されている公園であることを確信した。春のような穏やかに晴れたこの日は、家族連れ、老年カップル、若年カップル、犬連れ、クライマー、ダイバー、サイクリスト、コスプレーヤー、本気写真家、素人写真家など、様々な属性を持つ方々でごった返していた。彼らの多くは、素敵な遺物に従属するそぶりも見せず、ごく自然に思い思いの時間を過ごしていた。彼らにとって、それらは居心地の良い公園の空間を構成する要素に過ぎないのだろう。このことはランドシャフトパークが公園であることの証だね。
このゆるさが、世界中の都市再生の先進事例としてIBAエムシャーパーク構想が手本にされるようになった所以なのではないだろうか。