はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

消えた高炉


僕がオランダに発つ前、蘇我のJFE第5高炉はベルトコンベヤーが取り壊され、次の解体ステップを待っていた。オランダから帰ってみると、ものの見事に、跡形もない更地になっていた。こうなることはわかってはいたのだけど、やりきれない悲しい気持ちがつきまとう。
なぜドイツでは、フェルクリンゲンランドシャフトパークなどのように、高炉を残してそれをエンターテイメント施設あるいは社会学習施設などとして活用することに成功したのだろうか。
文化的な背景はそりゃ二重三重に絡まっているのだろうけど、現実的には諸施設を取り壊す予算を捻出するための合理性に欠けることと、更地にしてまで新たな誘致をしなくても他に有力な場所がいくらでもあるからということが大きな要因になっていると思う。要するに、壊すに壊せず残っちゃった廃墟をどう処理するかということが、喫緊の課題だったのだろう。
日本でこうした産業施設の保存活用が行われないのは、産業観光への意識が低い、責任をとる人や組織がいない、土地がないからさっさとスクラップアンドビルドしたい、という心理が働いているのだろう。どうやら第5高炉の跡地には、スポーツセンターができるらしいし。
ともかく、我が千葉に君臨していた宝とも言える極めて良質の資産が消え去ってしまったことは、慚愧に堪えない。