はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

平家の赤い橋


日本中の山間部には必ずと言っていいほど平家伝説があるような気がする。壇ノ浦の合戦に敗れた平家の落人が人目を避けて隠れ住んでいた、というあれだ。個人的には今になって平家推しで地域おこしをするってのは、人付き合いがあまり得意でなかったのかもしれないご先祖様に申し訳ないような気がしてしまい、なんとなく抵抗感がある。それに、本当に平家由来かどうかってところにも疑問を感じるし。そうした山奥の辺鄙な地域に住んでいる方々にとって、その場所には素敵なところもたくさんあるだろうし、その土地でなければならない理由もあるだろう。彼らは便利至上主義の人が無邪気に「なんでこんな不便なところに住んでいるの?」と問いかけてくることにうんざりして、説明が不要となる呪文として「いや僕ってほら、平家の末裔だから」と言ってきたんじゃないだろうか。ともかく、九州の山奥もご多分に漏れず平家伝説だらけだった。
上の写真は、昭和38年(1963年)につくられた「内大臣橋」という鋼トラスの中路アーチ橋。やはり平家由来と言われる地域の渓谷に架かっている。山間に相応しくない「内大臣」という名前がいかにもって感じだよね。現地の案内板には起業者として林野庁と熊本営林局と書かれているので、そもそも林道として整備された橋のようだ。
これがすごくかっこいいんだよね。アーチが薄い三日月状に構成されていて、支承部では上弦と下弦が近接してセクシーな緊張感をもたらしている。50年も前にこの立地でこの構造は、かなりゴージャスな判断だったに違いない。ここら辺に九州土木の凄みを感じるね。
しかし、この橋に対する僕のイメージは「赤」だった。サラリーマン時代に、職場の先輩が撮ってきた真っ赤なアーチの写真を見て、胸をときめかせていたので。塗り替えたのは平成12年(2000年)。なんでこんなさわやかな青空系の色にしちゃったんだろうか。景観的な配慮とでも言いたいのだろうか。ううむ、残念でならない。