はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

銀座の特異点・三原橋


銀座と言えば、高級百貨店、ブランドショップ、高級クラブに代表される大人の繁華街といったイメージか。歴史ある企業の本社やショールーム、ファストフードやファストファッションの旗艦店が集中するビジネス拠点というイメージか。
そんな銀座に、極めて特殊な「点」がある。「三原橋」という場所だ。緩やかに盛り上がる縦断線形を持つ道路、謎めいた円弧を描く側道、道路を挟んで正対する小さな双子のビル、急階段によるアプローチや不自然な天井の曲線が不思議な半地下空間、そのに展開するやたらと昭和感を醸し出している商店街、意味がわからない段差や用途不明の空間がある地下鉄通路、本当にここはあの銀座なのかと思いたくなる不思議な空間が形成されている。僕はここ5年くらい銀座に行くたびに意味もなくここをうろついてワクワクしているのだが、その気分を味わうことができる期間はもうそう長くない。「耐震上の問題」を理由として、再整備されることが決定しているのだ。
ここにはもともと三十間堀という水路に「三原橋」が架かっていて、終戦後に三十間堀を埋め立てた後も橋を撤去せずにそのままにして、その桁下空間を「三原橋地下街」として露天商に使わせたというところからややこしくなっている。銀座の黒歴史というか鬼っ子というか、複雑な戦後史がこの地点にうまく解けないまま凝縮されているのだ。それがようやく(残念ながら)精算されようとしている。
オフィシャルに語られることがあまり多くなかったこの地下街について、様々な情報を横断的にまとめてくれた素敵ブログ記事が以下の通り。斜め読みするには少々手強いが、じっくり読むと当時の状況や経緯をものすごくリアルに感じることができるよ。おすすめです。
骨まで大洋ファンby革洋同|三原橋地下街に係る疑獄について(その1)
骨まで大洋ファンby革洋同|三原橋地下街に係る疑獄について(その2)


【追記:2013.6.16】
新たな資料を革洋同さんが発掘してくださいました。これはなんとも生々しい資料。地下空間利用関連の書籍だと思うのだが、僕も「露天商を収容」という記述を見たことがあるのだけど、その記述は信用できないわけだな。ちゃんとチェックし直しておかなければ。
骨まで大洋ファンby革洋同|三原橋地下街の当初占用許可に係る東京都庁議公文書
骨まで大洋ファンby革洋同|昭和31年2月28日東京都庁議「三原橋」問題の処理について→関係局間においてなお検討すること