はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

景観を破壊する建造物


1889年に行われた万国博覧会の際、豊かな歴史を重ねた細やかな装飾がふんだんに施された石造りの美しい街並みを、構造むき出しの巨大な建造物によって一撃で破壊した事例。とにかく都市のスケールを無視した巨大な物体であり、街の文脈にそぐわない新素材が用いられている。きっと多くの文化人が「子孫が僕らをどう思うだろうか? 作った僕らをリスペクトするだろうか? 末代まで恥をかくだろう」と思ったことだろう。(参照:「自然な拒否反応」
日本ではこれまでも、低層の木造住宅が密集するエリアに600mを越えるタワーを建設してみたり、前回の東京オリンピックの直前に日本橋を含めた江戸の水路の上空に高架橋を架けたり、明治天皇を祀ることを意図してそれまでの歴史的文脈とは別に広大な敷地を西洋風に園地化したり、あの手この手でいろいろと「それまでの景観を破壊する行為」を繰り広げてきた。そんな都市内の巨大プロジェクトであっても、景観の観点からは、あまり大きな反対運動には至らなかったように思う。自分の家の近くに巨大マンションができるという、利害が直接絡む場合の反対運動はときどき耳にするが。
そうしたことを思うと、文化の歴史的文脈を中心軸にした新国立競技場を取り巻く議論(たとえば、田中龍作ジャーナル:景観破壊の新国立競技場「不自然なコンペ」)の盛り上がりって、とても重要なんじゃないかと感じる。きっと多くの人が景観や文化の保全を意識しているという証なのだから。建築家以外の方々が中心になって議論していく必要はあると思うけど。
ちなみに今のところ僕の立ち位置は、当初思ったことからそれほど変化していないし(コンペの運営やスケールに対する認識の甘さはだいぶ反省したが)、それを声高に叫ぶつもりもない。なにしろ自分はニッチな亜流であることを自覚しているので。まあ逃げているといわれると、それまでだが。