はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

床版レス歩道橋

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橋梁における「床版(しょうばん)」とは、文字通り大地の代替物としての「床」のことであり、彼方と此方を結びつける橋梁の本質の要素とも言える。ちなみに床版を支えるものが「桁」であり、桁を支えるものが「橋脚」や「橋台」と理解しておけばいいだろう。まあ、まれに床版が構造部材になっているケースもあるけどね(たとえば、渓谷を渡る板白くて薄い太鼓)。

先日、床版がない橋、つまり「桁」だけで構成されている「丸太橋」を、久しぶりに目の当たりにして、実際に渡ってみた。床版とはいかに重要な存在であるかを、恐怖を伴って理解できた。丸太は大地の延長ではなく、断面が丸いただの倒木にすぎなかった。橋梁の原初的な形態をあらためて体験することは、近代橋梁のありがたさを噛みしめることにつながるね。

ちなみにこの場所は、長野県大町市の高瀬ダム(堤体はこれ|人造岩山)の上流左岸にある濁沢。まるで三途の川のごとき荒涼たる眺めが広がっているのは、大規模な崩壊地からの土砂が絶え間なく谷を埋めているためだ。その堆積スピードは想定よりもはるかに早いようで、高瀬ダムの貯水機能を何割も減退させているらしい。残念ながらこの日は休工日だったけど、平日にはひっきりなしに砂を下流に運搬するダンプの隊列を観察することができる(堤体のつづら折れ道路を行進する隊列の様子|露天掘鉱山的)。その様子と崩壊地の風景をセットで見ると、排砂という努力は焼け石に水なんじゃないかという暗澹たる気分になるよ。