はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

海上都市の領域

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前回エントリの投稿後、学生時代に撮影した膨大な調査写真をずいぶん前に当時在籍していた研究室から引き上げたようなことを思い出して、職場の棚の最上部に押し込んである段ボール箱に手を突っ込んでみた。すると驚いたことに、「アクアポリス」の写真があっさり見つかった。写真の裏には「1993」の文字が刻印されているので、僕が大学4年生のときだとわかる。その当時の状況がどんなものだったかを、少しだけ思い出すことができた。よくぞ撮っていて、よくぞ残していたな、えらいぞ自分。

あらためて1975年の沖縄国際海洋博覧会のシンボル「アクアポリス」をネット上で調べてみると、いろんなことがわかる。菊竹清訓の設計であることはなんとなく知っていたが、手塚治虫がプロデュースしていたことは知らなかった。まあ名前を借りただけなのかもしれないが。閉館したのは、なんと1993年とのこと。僕はその直前に訪れていたわけか。どうりでボロボロな印象だったわけだ。

海上都市の建造は、大きな国家プロジェクトだったんだろうから、土木学会編「土木工学ハンドブック」「土木用語大辞典」や海洋土木大辞典編集委員会編「海洋構造物」などにはもっと詳しい情報があるのだろうと思って、次々と引っ張り出してみた。ところが、アクアポリスに関する記述が全然見つからない。石油掘削施設や海底ケーブル関連、さらには海中展望塔の記載はたっぷりあるのに。アクアポリスは「半潜水型浮遊式海洋構造物」とされているが、もしかすると「土木」ではなく「船舶」のテリトリーなのかもな。それとも、まさか「都市」なのか。