はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

廃墟になった塔

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僕はかつて新札幌の職場に勤務していたこともあり、JR千歳線の車窓から「北海道百年記念塔」を日常的に眺めていた。もちろん、旭川に住んでいた小学生の時も含めて、過去に数回訪れたこともある。鮮明な記憶が残っているわけではないけれど、そこにあって当然という印象は抱いていた。

先日札幌で元同僚と飲んだ際に、老朽化による安全面の問題と維持費の確保が困難であるために解体が決定されたという話を聞き、少なからぬ衝撃を受けた。確かに数年前から閉鎖されていることは耳にしていたが、破棄されるところまでは想像できていなかった。札幌市民のみならず、北海道の人は慣れ親しんだモニュメントであるはずなのに。

そんなこともあり、早速翌日に訪問してきた。到着時にザッと雨に降られてしまったが、その後は急速に青空が見え始めた。タイミングよく、ダブルの虹がかかる姿を拝むことができたのは幸運だね。このブログでは珍しい写真ではあるけど、勢い余って載せちゃおう。いつ無くなるかわからない姿を心に焼き付けるべく、重い荷物を背負ったままたっぷり時間をかけて堪能した結果、大急ぎで新千歳空港に移動することになり、翌日の仕事に影響するほどグッタリする事態に陥った。

あらためて鑑賞した百年記念塔は、とてもカッコいい。耐候性鋼の荒々しいテクスチャーと、バキっとしたガンダムっぽい造形のコラボレーションがたまらない。ダイナミックな全体フォルムとものすごく繊細で複雑な細部の造形のコントラストにもゾワゾワする。廃墟になった今、鑑賞者の中の存在感が増大し、象徴性が強まっているようにも感じた。そして、帰りの飛行機や電車の中で写真を見ながらぼんやり考えているうちに、「北海道らしさ」を突きつけられた気分になった。 

北海道の大きな文化的特徴は、やはり厳しくも豊かな「自然」の環境、そして、全国各地からの入植者による「開拓」を切り離して考えることはできないだろう。時間的な醸成を経ることなく目の前の明確な困難を乗り越えた人々は、全体的におおらかであっさりしている傾向があるように思う。その点はとても好印象ではあるが、いざ街を歩いてみると景観のアイデンティティーがとても読み取りにくい。

そういえば、札幌は特に他都市に負けない文化的水準が高い公共施設をつくろう!みたいな気運が低い気がするし、価値を継続させたり残したりする感覚も希薄で、更新することが当たり前のようになっている気がしてきた。厳しくも豊かな自然環境に寄りかかって、そこに暮らす人々の営みをアーカイブしながら新たな文化をつくろうとする観点が希薄なのかなあなんてことを、合計12年間住んだ第二の故郷である北の大地に対して思いはじめている。

そんなことはさておき、百年記念塔の取り壊しはいつ始まるかわからないので、強い思い入れがある方は早めに鑑賞して、暖かく見送ろうね。