はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

火災映像

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首里城には何度も行っていた気になっていたのだが、最近の沖縄訪問では外側から見ただけだった。特に2013年の沖縄日帰りツアーでは、開場時間にギリギリ間に合わず、本殿を入口から眺めただけだった。今となっては、もう一度しっかり見学したかったなあと後悔せざるを得ない。せめて再建のための寄付を、しっかりしていきたいと思う。

今回の首里城の火災も、今年4月のノートルダム大聖堂の火災も、また、首里城火災の直前にあった札幌の元職場での火災も同様の感覚に陥ったが、個人的に大切に思えるものが燃えさかる映像はたいへんショッキングで、どうにもこうにもいたたまれない気持ちになる。もちろん洪水や津波の映像にも近い印象を受けるけれど、どこか違う面がある気がしてならない。

もしかすると、幼少期の体験が影響しているかもしれない。小学1年生の頃に近所で大きな火災があり、自宅の窓からずっとその状況を見つめ続けていたようなのだ。その時なにを感じていたのかは全く憶えていないが、強いインパクトの感覚は残っている。なすすべもなく少しずつなにかが失われていく映像を見ると、強い喪失感に襲われてしまい、再び見ることへの拒否感が生まれ、ついチャンネルを変えてしまう。