はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

体験で引き寄せる歴史

f:id:hachim:20201115105207j:plain

最近、あらためて「近代デザイン」の歴史を時間軸に沿ってざっくり俯瞰する機会を得た。というか、そうせざるを得なくなった。その過程の中で、昨年末に訪れたイギリスでの体験をしばしば振り返っていた。なんせこの国は、近代デザインの源流である産業革命の発祥地であるせいか、いろんなことが重層的に絡み合っているようなのだ。

ブルータリズム建築の事例で頻出する「ロイヤル・ナショナル・シアター」は、1976年につくられことを考えると、このムーブメントの最後発だろう。当時は世間からの風当たりも強かったらしく、時代の変わり目にさしかかっていたのかな。僕の目からは、ものすごくかっこよく見えるのに。そんなことを考えながら、実際に建築空間をたっぷり堪能した。

ここ最近、ブルータリズム建築の表層を積極的に鑑賞していたのに、その内側に流れる文脈は不勉強のまま強く踏み込まなかった。でもようやく、うっすら位置付けが読めるようになってきた気がする。コンクリートの自由度が高い造形や荒々しいテクスチャーによる空間表現は、適切かどうかはどうかはわからないけど、ユニバーサルな規範に基づく厳格なモダニズムが不意に暴走してしまったかのよう。当時のポップアートに見られるような、社会の閉塞感へのねじれた解答というニュアンスもありそう。そして、この後のハイテック、ポストモダン、デコンストラクションなどの自由な表現を謳歌するようなムーブメントへの伏線にもなったんだろうなあと妄想。ここら辺は、今後も時間をかけてじっくり理解していきたい。

歴史ってのはついつい自分と隔絶させてしまいがちだけど、リアルな空間体験をすることで、なんとなく接続できてくるもの。僕はここ数年、特にその傾向が強くなってきた。順調に歳を重ねているってことなんだろうな。

社会の積層

f:id:hachim:20201031150725j:plain

東京は「レイヤード・シティ」と表現してもいいんじゃないかとずいぶん前から思い込んでいるわけだが、KITTEの屋上庭園にふらりと立ち寄った際にその思いを強く抱いた。ちょうど、東京の運河クルーズでの体験と同じような印象と言えばいいだろうか。スケール感は違うけど。

都市渓谷に広がる湖面のような空間に、東京駅とその駅前広場がある。江戸の街の基本骨格や東京駅の位置付けが、駅前広場の再整備とともに復元されて可視化されている。それを引き立てているのが、容積率移転による超高層ビル群、しかも、かつての百尺規制による高さ制限が引用された、なんとも妙に整った街並みだろう。この場所からは、鉄道、車両、歩行者、自転車といった交通モードも、水平方向にも垂直方向にも展開していることを体感できる。

展望台やクルーズなど、風景を遠くまで見通せる場所でぼんやりしていると、いろいろ妄想が膨らむよね。まさに俯瞰的な態度が獲得できた気分になる。この気分を手に入れるだけでも、十分価値があると思うな。

 

よいデザイン

f:id:hachim:20201027120710j:plain

先月88歳で死去したテレンス・コンラン卿が設立し、2016年に現在の場所に移転したロンドンのデザインミュージアム。その常設展「Designer Maker User」の入口に、「CROWDSOURCED WALL」という壁面がある。そこには、さまざまなジャンルを跨ぐ小物が、所狭しとちりばめられている。オープンの2016年にウェブサイトを通じておよそ500名が応募し、その中から25カ国200点以上の物体を選定したようだ。

これがなかなか面白い。誰のどんな個人的な思い入れなのかわからないのに、僕の個人的な思い入れに不意にシンクロする。いくつもの小物を通じて、世界の誰かとつながっている気分になる。これは、日常的で個人的な思い入れを「グッドデザイン」に投影しようとしているのだろうね。思考を解きほぐすという意味で、グッドデザインな導入だなあと思う。展示ゾーンに入る前にこれを見せられてしまい、なかなか前に進めなくて困ったが。

ちなみに常設展は現時点で、新型コロナウィルスの影響で行われていないらしい。