上海には古くからある未整理の集落が、ちょこちょこ点在しているようだ。そのうちの、川と高速道路と再開発地区に取り囲まれたエリアに行ってみた。もちろん一人ではなく、中国人と一緒に。
迷路のように複雑に入り組んでいる狭い小路には、唐突に流し台があったり、大量の洗濯物がかけられていたり、無造作に鉢植えが置かれていたり、妙な色の生活排水が淀んでいたりしている。住民は、椅子に腰をかけていたり、卓を囲んで麻雀をしていたり、何かわからない料理の仕込みをしていたり、何をするわけでもなくたたずんでいたりする。たいていの家はドアや窓を開け放っていて、小路から薄暗い家の中を伺うことができる。
要するに、小路は生活空間なわけだ。小路は単なる公的な通行の場ではなく、私的な日々の暮らしの一部になっている。そこでは近代的な都市計画論など存在せず、自然発生的に脈々と積み重ねられてきたリアルな情景が展開している。
個人的には初めて目にする光景だったが、もしかすると、かつての日本の都市でも同じ状況があったのかもしれない。当初は異様なカオス的環境に驚嘆して興奮しっぱなしだったけど、あとからじわじわ考えさせられる体験になった。