はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

団地ノスタルジー


先日の札幌出張では少し早い便に搭乗して、かつて住んでいた琴似という街に行ってきた。時々行っていたスープカレー屋でランチをして、その後に琴似の街をぶらりと散歩した。ラーメン屋、焼き肉屋、居酒屋、喫茶店など、当時よく行っていた店舗がまだ営業していて、いろんな記憶を呼び覚ましてくれる。さらに調子に乗って、琴似の前に住んでいた八軒の築50年近くになろうかという巨大団地にも行ってみた。
すると、なんと取り壊しの直前で、すっかりもぬけの殻だった。エリア内のすべての棟ががらんどうで、駐車車両なども一切無く、1階部分の窓やドアにはすべてベニヤ板が貼られている。
なんというか、ふと涙が出そうになった。すっかり生活臭が抜けてしまったがらんとした空間に、妄想で車や遊具や人々や夕日を当てはめるなんていう、ドラマなんかにありがちな「昭和の思い出に浸る感傷的なおっさん」になっていることに気がついた。
懐古趣味を押し出す団地趣味ってのにはあまり共感できずにいるのだけど、いざ自分の記憶に直接関わってくると、「個人のノスタルジー」に触れるという感覚も、たしかに大事な要素なんだなと感じた次第。