はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

可視化された公平性


明治の終わりに発明され、昭和初期にかけて全国に普及した「円筒分水工」は、それぞれの農地に対して、水を公平に分配するための画期的な施設だった。
円筒の中心に水をサイフォンで噴出させて、外側を取り囲む壁の穴を越流させ、その際に分配比率に合わせて仕切ることで、見た目にもごまかしがきかない仕組みになっているのだ。水路幅の比率を調整するだけで終了なんじゃないかと思うけども、そんな単純な話じゃない。水量や流速や使用状況によって水が流れる密度が変動するので、実際に分配される比率は異なってくる。
雨が多い年ならば多少の違いは許容できるだろうが、水不足の年は切実な問題だ。しかも水はけが良い地域や、保水能力の高い山が少ない地域であればなおさらだ。水の分配は生活の維持に直結するので、実際に血で血を洗う「水争い」という深刻な事態が多発してきた。このような問題を技術によって解決したってのは、エンジニア冥利に尽きるだろうなあ。
意図的にそのような視線で円筒分水工を眺めてみても、すぐになんとも言えないモヤモヤした気分に陥ってしまう。「公平」に対する異様な執着のほうが気になり、「抜け駆けは許さない」「出る杭は打たれる」「全体主義」といった、わずかな不公平感も許さない心理が視覚化されているように感じてしまうのだ。そこから想起するウェットな気質の日本人、それは自分たちのことだよな。