昨晩、おそらく10数年ぶりに映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(完全オリジナル版)を鑑賞した。シチリアの小さな村を舞台に、やがて映画監督として大成するけれど人としての出来はいまひとつなトトの成長が丁寧に描かれている映画である。エンニオ・モリコーネによる秀逸な映画音楽と相まって、個人的には「泣ける映画」として大好きな作品である。
無学ながらも本質を見抜くメタ視点を持っている映画技師アルフレッド、いつも極めて厳しい環境に置かれつつも大きな包容力ですべて受け入れる母マリア、女神のごとき高潔な魅力を持つ恋人エレナ、そして映画館「パラダイス座」に関わる個性豊かな村人たちのすべてが、愛すべき存在として登場する。そして、戦後から現代(1980年代)までの社会環境の変化がくっきりと浮き彫りにされている。こちらもずいぶん「大人」になったためか、あらためて気がつくことが多かった。
その変化を象徴している演出が、映画館が面している「広場」の移り変わりである。日常の交流の場だった広場が、何もない空間を経て、最後は駐車場としての存在になって描かれていた。これはつまり「地域社会の核」の崩壊と読めるわけだ。実は、最初から「オレの広場だ」と主張し続けたおかしな男がキーパーソンだったりすることは、今回の鑑賞で初めてわかった。
欧州社会における「広場」の重要性を、欧州滞在を通じて体感的に飲み込めたことは、上記の理解に対してものすごく大きく影響している。それに、映画に描かれている風景が本当に存在しているということも、よーくわかったし。やはりシチリアにはいつか行きたいね。これまた大好きな映画「ゴッドファーザー」でも重要な場所だしね。
ちなみに上の写真はミラノの「ドゥオモ広場」。映画で描かれているシチリアの広場とは異なり、ゴージャス感がすごいよ。行き交う人々の洗練度の高さや浮かれ具合も含めて。