高岡は江戸の初期から鋳物の街だったそうな。なるほど、それが現在のアルミ産業に引き継がれているわけだね。その記憶をとどめている金屋町をふらりと歩くと、北端の方に気になるものがあった。案内板には、旧南部鋳造所の鉄を溶かすキューポラとそれに付随する煙突と書かれていた。
よくぞ残してくださった。
そう思う反面、パチンコ屋さんの大きな駐車場の片隅に、雨をしのげるように屋根がかけられ、人の立ち入りを拒むだけでなく容易に写真を撮ることも拒否するかようなフェンスで外周を囲まれ、往時の世界観がポツンと凝縮して孤立している。何とも言えないモヤモヤした気分になる。
残せばいいってもんじゃない。
そう思いつつも、こういうものはなくしてしまったらそこで終わる。やっぱり残すことにも大きな意味はある。その残し方について、僕らはもっともっと経験を積まないとな。この縮小社会でいまだにスクラップ・アンド・ビルドを基本姿勢にしているのは、たいへんまずいと思うし。