豪快に鉄道を跨いでいる盛土が河川の堤防だったなんて、ちょっと信じがたいよね。
草津は江戸時代から東海道と中山道が合流する宿場町。その発展を支えた川が草津川なわけだが、どうやら尋常ではない量の土砂も供給されていたようだ。河床が上がると水害が発生しやすくなるので、必然的に堤防を高くせざるを得ない。それを繰り返していくうちに、想像を超えるスケールの天井川に成長してきたわけだ。しかし、見ての通りあまりにも災害リスクが高い。ついに、別の場所を掘り下げて河川自体を新調することになり、巨大な廃川が誕生したわけだ。このように何重にもおかしなことになっているので、現地を見ても動揺しっぱなしだった。まあ詳しくはデイリーポータルZの萩原さんの記事を参照していただきたい。
この鉄道を跨ぐ区間は、川だった当時が残されているのだが、写真右側の上流部からは、「de愛ひろば」と名付けられた帯状の公園として利活用されている。これがまた超絶面白い異空間だったので、近いうちに書き留めておこう。