はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

そこら辺の絶景

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新型コロナウイルスの影響で引きこもっている週末、なんとなく気持ちが前向きにならない。何冊も持ち帰った書籍を読もうとしても、数ページで集中力が切れてしまい、前に進めない。映画を鑑賞しようかと思ったが、そもそも選ぶ段階で挫折してしまった。こんな時にはYouTubeの「ゲームさんぽ」という教養番組?をダラダラ観るのが最適であることを少し前に学んだが、すでに概ね鑑賞し終えてしまった。今年に入ってから毎日のように観ているアニメ「映像研には手を出すな!」の録画は、もう少し集中力が戻ってから気持ちを整えて鑑賞したい。

そんな流れで、やっぱりいつものように、過去に自分が撮った写真をダラダラ眺めている。特に整理整頓するわけでもなく、自分がここ数年で興味を向けているものはなんなのかなあと、ぼんやりと考えながら。もちろん被写体として圧倒的に多いのは、調査や取材の対象として取り上げたものや、旅行の際に事前に調べてから訪問した鑑賞対象だ。それらには、おそらく外部の情報から興味を持ったのだろうし、このブログにも頻繁に書き散らかしている。そこそこ有名だし、そこそこ参考にできる記述もどこかにあるしね。つまり、見方の方法や手がかりはすでに存在しているものだ。

そのような対象にまぎれてチラホラ散見されるのが、なんというか、取るに足らない対象物や風景の写真。たいていは自分の中でなにかモヤモヤした感情を抱き、とりあえず撮って残してみたというものだ。なにかを観に行ったときは、自分のアンテナ感度が高まっているので、ついつい撮っちゃうもんね。もちろんそこには、「巧まざる造形」「室外機コレクション」「パーキングスケープ」「ゴージャス避難階段」「ラッピング名所」など、すでに個人的な収集テーマとしているものも含まれる。

で、これらは結構重要だよなあと、いまさら意識したわけだ。見方によっては絶景になり得るし、その眺めの読み方はまだ一般的ではない可能性があるので。ということで、取るに足らない眺めの見方に対する読み解き方を示すために、「そこら辺の絶景」を意識的に拾い上げていきたい。という自分に対する意志表明をメモとしてここに残しておく。

以下、現時点でなんとなくピックアップしておきたい絶景に関する、個人的な走り書き。作家性が感じられないもの、つまり、美の実現を目論んでいないであろうもの。その眺めが生まれた背景が見え隠れするもの。過去の価値感を引きずり、少々ズレた環境や材料でそれを表現したもの。スケールが異なる時間や空間が衝突する際に生じたもの。など。