はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

内湾の防潮堤

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三陸海岸の沿岸漁業から世界の海に出る遠洋漁業を網羅するレンジの広い漁業基地として、さらには水産加工業や造船業でも栄えてきた気仙沼。その発展の起点は、気仙沼湾のさらに奥にある入り江を取り巻く内湾地区と言われている。この場所が海と人を結びつける経済活動の拠点となってきたことは、穏やかな海面を見渡しながら地形の変化を感じて歩いてみると、しみじみと感じられる。それは繊細な山襞が複雑に海に入り込むリアス海岸ならではの体験だ。

その内湾地区も、東日本大震災の津波で大きな被害を受けた。それをきっかけに、今後の災害を低減すべく、防潮堤や土地のかさ上げが行なわれている。しかし水際線をよく見ると、連続していて当然の防潮堤が不連続に見える。上の写真で言うと、奥側はコンクリートの直立壁だが、左側は盛土があってその上に建築物がある。手前側に至っては、防潮堤が見当たらない。少なくとも3つのパターンがひとつの入り江に出現している。

これは、住民の方々が防潮堤について学び、行政や専門家とともに議論をしながら、その場所の特性に合わせて防潮堤のありようをカスタマイズしていった結果だという。大急ぎで国や県が示した統一的な防潮提案では、「海と生きる」ことを選択してきた地域のアイデンティティが失われるのではないかという危機感から導き出された、さまざまな創意工夫の積み重ねだ。風景を一見しただけではわからないが、ある程度知識を仕入れた上でこのエリアを歩いてみると、いろんな人の思いを想像することができる。

特筆すべきは、写真左側のエリアだ。4つの商業観光施設「迎(ムカエル)」「創(ウマレル)」「結(ユワエル)」「拓(ヒラケル)」からなる「ないわん」が整備され、地域の新たな拠点として、すでに人材の交流や観光行動が活性化している。特に「迎」「創」は、防潮堤と一体になっていて、海への「壁」を文字通り乗り越えようとする地域の意志が強く伝わってくる。今後どのような展開になっていくのか、ときどき眺めていきたい。