はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

不知を自覚する機会

昨日は野暮用ついでに、自分の生活圏にはあるものの頻繁には通らない線路沿いの道を歩いた。すでに10年以上も勤務している職場の窓からもしっかり見えるので、無意識的に「よく知っているつもり」になっていた。そして、実際は「知らなかった」という残酷な事実を突きつけられた。それが、この写真。

かつては裏口として機能していたのだろう箇所が、壁面から一段引っ込むように埋められている。しかも、外壁のタイルに近いけど異なる素材で。左側には「夜間受付」と書かれたインターホンの端末が残され、右側にはビル名を記載した立派な鋳物のプレートと小さな町名表示板が掲げられている。出入口の痕跡と歩道をつなぐ階段は、誰ひとりとして通ることがない遺構としてしっかり残置されている。そこに後から設置されたのだろう自販機のための電源コンセントとコードがそっと添えられている。見どころ満載の見事なトマソン物件である。

そう、絶景は日常に潜んでいるのだよ。僕自身が『日常の絶景』という本を書いておきながら、自分の日常をおろそかにしていたことが不意に顕在化してしまい、大いに動揺した。自分の不知を反省してはいるが、見えていない絶景がまだまだあるのだろうねえ。浮かれることなく、精進しなければ。ちなみにトマソン物件とは、前衛芸術家の赤瀬川原平が提唱した「不動産に付属していて、美しく保存されている無用の長物」のこと。主に1980年代に流行り、多くの人が魅了され、現在の都市鑑賞者にも引き継がれている概念。

自販機の隣でたむろしていた3人のリサイクルボックスたちが、僕を横目で見ながらヒソヒソ声で話しているように思えた。「あの人、このトマソンに気づいてなかったみたいだよ」「えっ!まじで!!」「自覚がないんだよね、わかったつもりになっている人って…」なんてことを。