
昨年の SIGMA BF に続いて、またしてもヤバいカメラを買ってしまった。それは、コンパクトカメラのくせに白黒写真しか撮れない上に、ズームもできず、やたらと高額かつ希少な RICOH GR IV Monochrome というもの。普通に考えると、狂気以外の何ものでもない変態カメラだよね。
なぜかというと、どうせあたるはずもないと思って申し込んだ抽選販売に、うっかり当選してしまったという消極的な理由。いや、もちろん若干の興味はあったんだよ。10年以上前に APS-Cセンサーを搭載した初代GRを入手して、しばらく実際に使っていたし。その頃はあまり使いこなせず再チャレンジしたいという気持ちから、たびたびノーマルの RICOH GR IV の抽選販売に応募して、はずれ続けていたし。それに、このご時世にいかれたカメラを出すメーカーの姿勢に対するリスペクトは、そもそもあるからね。でもいざ当選してみると、とてもビビって逡巡しまくった。これは、もっと所有すべき人が所有するものなのではないかと。
そんな状況で購入に踏み切ったり理由は、まず、昨年製作した写真集『混凝土』で白黒写真って面白いかもと感じたことと同時に、消化不良感を抱いたこと。言い換えるなら、白黒写真の可能性を感じたってことかな。次に、現在取り組んでいる「デザインの身体づくり」をする上で、色彩の情報を取り除くストイックな筋トレもあり得ると思っているので、それを強制的に実践する機会をつくれること。加えて、カラーフィルターを取っ払ったというモノクロ専用センサーの解像感とか、スナップカメラとしての機動力とか、このカメラの基本性能にも興味があったし。そしてなにより、自分自身の「写真」に対する姿勢が変化してきたことが、決定的な要因としてある。
『日常の絶景』の「おわりに」で、僕は写真との関わりについて少し触れた。要約すると、「写真は作品というより、観察と思考を鍛えるための道具みたいなものだ」という話だったと思う。あれから時間が経ち、写真を撮る量も考える量もそれなりに増えた結果、その感覚はいまのところ、ますます強くなっている。僕はたぶん、写真がうまくなりたいわけではない。いや、うまく撮れたら嬉しいのは嬉しいのだけれど、それ自体が目的ではない。じゃあ何をしているのかというと、どうやらひたすら筋トレをしているようなのだ。
最初の頃の写真は、単なる記録だった。いま見返すと面白みに欠けるが、当時の自分にとっては必要十分だった。そのうち心に引っかかった風景の記録を、その時の感情が乗るように工夫するようになった。この頃から、写真は記録ではなく発見の証拠として機能するようになった。さらに進むと、写真は考えるための道具になった。なぜこうなったのか、どんな制約がこれを生み出したのか、どのように魅力が立ち上がっているのか、などなど。それに伴い、色調をずらしたり、立体感をなくしたり、構成だけを取り上げたり、図面的理解に注力したりと、「現実を正しく写す気」がますます薄れてきた。
写真は答えをくれないのに、問いだけは量産してきて、認知負荷が高まる。これはすでに筋トレだよね。そして、写真は観察力や思考力を鍛えるためのトレーニングマシンという位置付けが明確になってきた。たまに「作品っぽい写真」が撮れてしまうことはあるが、それは副作用みたいなものだと思っている。『日常の絶景』を書いた頃より、筋肉は多少ついたかもしれない。でも、まだ全然足りていない実感がある。そんなときに、この抽選に当たってしまったというわけだ。そんなわけで、運命だと思って、受け入れることにした。
昨日仕事に出かけた際に、隙を見て試し撮りをした。帰宅後にじっくりその写真を眺めてみると、透き通った解像感や、白黒の階調の豊かさを感じ取ることができた。まあ自己満足のレベルとは思うけど、いい買い物をしたという自己暗示をかけるには、充分なクオリティだった。小さなサイズの画像では伝わらないと思うけど。
しかしまあ、カメラ沼って怖いんだね。。