
しまなみ海道を訪れた翌日、今治のホテルでチェックアウト時刻のギリギリまでダラダラ過ごし、15時頃のバスに乗って帰途についた。その間は昼食の時間を除いても3時間超は街を徘徊しただろう。スタートは以前訪れたこともある丹下建築シリーズで、愛媛信用金庫今治支店、今治市庁舎本館、今治市庁舎別館、今治市民会館、今治市公会堂をおさらいした。その後は繁華街や水路跡や漁港などをフラフラと見て回った。
最後にご挨拶のつもりで今治市庁舎を再訪したところ、さっき見たばかりだというのに、全く知らない場所に来てしまったような「ジャメヴュ(未視感)」に陥った。冬の鋭い日差しが叩きつける光と、容赦なく切り落とされたような深い影。延々と続く格子の連続性と、不自然なほど静寂な様相が生み出す断絶感。本来なら住民票だの税金だのといった日常の世俗の極みであるはずの市役所が、世界の向こう側の深淵をのぞき見るような、白昼夢っぽい装置に変貌していたのだ。
もしかすると、デ・キリコがイタリア広場で受けた啓示は、こんな感じだったんじゃなかろうか。職場に戻ってから、2024年に開催された「デ・キリコ展」の図録を引っ張りだして、形而上絵画が生まれた経緯の回想の言葉を確認すると、ますますその想いが高まった。
秋の生あたたかく愛のない太陽が、彫像とともに聖堂のファサードを照らしていた。そのとき、あらゆるものを初めて見ているかのような不思議な感覚におちいった私の脳裏に、絵画の構図が浮かび上がってきた。こうして生まれた作品を、私は「謎」と呼びたいと思う。
ブルータリズムと形而上的な世界観というのは、おそらく相性がいいのだろう。装飾を脱ぎ捨てて、剥き出しになったコンクリートの幾何形態は、祈りや沈黙といった精神性の領域にまで踏み込んでくる。そして、暴力的なまでに思考を停止させようとしてくる。住民票を取りに来た人は、その目的をすっかり忘れて終わりのない午後を漂う羽目に陥りそうだ。