はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

500から695へ

(今回は極めて個人的な長文メモです…)

2012年から14年間連れ添ったFIAT 500 TwinAirの調子が、さすがに怪しくなってきた。
走行距離は6万km台なので、そこだけ見ればまだまだ行けそうにも思える。しかし、車は距離だけで歳を取るわけではなく、経年によっても確実に劣化する。少し前には、バッテリーにトラブルが生じて大きな交差点の手前で止まってしまった。普段は作動してくれなかったアイドリングストップが突然発動し、その後うんともすんとも言わなくなったのだ。あれはなかなか心臓に悪く、人力で車を動かすために肉体も酷使した体験だった。最近では、エアコンをつけると異音がするようになった。ゴム系のパーツもあちこちでくたびれてきている。当初からどこかのパーツがこすれて鳴っていたきしみ音も、次第に大きくなってきた気がする。目に見えるところも、見えないところも、少しずつ変化してきた。

それでも、まだ乗れると思っていたし、もっと乗りたいと思っていた。
FIAT 500は、本当にいい車だ。かわいくて、小さくて、どこかすっとぼけていて、でも日常の道具としてしっくりくる。875ccのターボ付き2気筒エンジンは静粛でも円滑でもなく、合理的な機械という印象は薄い。その音や振動が、むしろこの車の人格のように感じられた。
そして5月末、ディーラーで定期点検を受けた。多少の修理は覚悟していたが、出てきた結果は予想を超えていた。まず、エアコンのコンプレッサー交換が急務。場合によっては、コンプレッサーがロックしてベルトが切れ、走行不能になるという。さらに、ミッション周りの不調、複数箇所でのオイルにじみ、冷却水漏れの跡、ドライブシャフトのブーツ切れなども指摘された。少なくとも、来年の車検はこのままでは通らないとのことだった。つまり、今の状態はまあまあ危険であり、乗り続けるためには比較的高額な修理が必要になるということだ。
つまり選択を迫られる状況に陥った。今のFIAT 500を修理して乗り続けるか。最低限の緊急対応だけをして、次の車までだましだまし乗るか。それとも、いよいよ買い替えるか。

実は少し前から、次の車のこともぼんやり考えていた。
とはいえ、これがなかなか難しい。僕の住環境では充電環境を用意できないため、EVは選択肢に入らない。そうなると、ハイブリッド車かガソリン車が前提となる。しかし、国内外の現行車を見ても、FIAT 500を超えてグッとくる車が全く見当たらず、困り果てていた。もちろん、現代の車は性能が高い。安全装備も充実している。燃費もいい。静かで、快適で、壊れにくいのだろう。けれども、僕にとってはなんとも面白みが感じられない車ばかりだ。サイズが不要に大きく、たいてい威圧的で、表面的な造形で個性のようなものを出そうと無理をしている。
その背景には、環境問題に対応するエコカー推進政策、安全基準の高度化や各種規制の強化、需要が見込まれる地域を中心とするマーケティング戦略など、さまざまな事情が見え隠れする。それは理解できる。社会や経済としては正しい方向なんだろうね。しかしその結果として、自動車という大型工業製品から、余白や癖や無駄や色気のようなものがどんどん削られているように感じる。やっぱりある種の「正しさ」に収斂していく状況は、害悪にもなり得るよね。
そんな中で、ほぼ唯一の候補として考えていたのが、FIAT Grande Pandaのハイブリッド版だ。これはまだ日本で正式に発売されていないやつ。ディーラーの方によると、2026年10月頃に日本でも発売されるかもしれないが、現時点では時期も仕様も価格もすべてが未確定とのこと。原油や円安など、輸入車を取り巻く状況は大きく揺れているもんな。それはさておき、この車に注目していた理由は、かつて乗っていたHonda S-MXを思い出させるからだ。S-MXは、いま思い返してもお気に入りの車だった。小さな箱のようで、部屋のようで、どこか道具っぽい。実用車なのに、妙にキャラクターが立っていた。Grande Pandaにも、それに近い生活の道具としての楽しさを予感させてくれる匂いを感じた。
だから、今のFIAT 500を徹底的に修理して乗り続けるか。最低限の修理だけでGrande Pandaの登場まで粘るか。そのあたりが現実的な選択肢になるのだろうと思っていた。そんな話をディーラーの方に相談していた。

ところが、奥の方にいたソリッドなオレンジ色の車と目が合ってしまった。
それは、ABARTH 695 Competizione。FIAT 500をベースにして走りに振り切ったオフィシャル合法改造車であり、たいへんやんちゃな車である。もちろん、ABARTHの存在や人気っぷりは以前から知っていたし、ディーラーに来るたびにチラ見していた。その上で、あまりのイキりっぷりに、これは自分とは全く縁のない車だと思っていた。しかし、その時に目の前にある実物は違って見えた。明らかに普通ではないのに、僕を見つめるつぶらな瞳は、なにかを語っていた。
FIAT 500の面影を濃く残しながらも、空力性能がよさげなエアロパーツ、黒いアルミホイールと薄いタイヤ、身体を拘束する本気のシート、黄色いキャリパー、無駄に勇ましい排気管、それらの装備のために跳ね上がった車両価格、そして強烈なオレンジ色のボディが、あきらかに異なる世界観を示している。でも、かわいい。
ディーラーの方によると、ABARTH 695はFIAT 500と同じく、日本向け生産が一昨年に終了しているという。そしてこの個体は、他店舗と合わせても新車で買える最後の2台のうちの1台だという。なんでこの子は売れ残っているのだろうか。もちろん、こんなに小さい車なのに高級車並みの価格であることは大きな理由なんだろうが。

そんなわけで、選択肢がもうひとつ増えてしまった。
今のFIAT 500を乗り続けて、愛着をさらに深めるか。Grande Pandaの登場を期待して粘り、現在の最新の自動車を楽しむか。ABARTH 695に一気に乗り換えて、すでに消えかけているガソリンエンジンの楽しさを、ノスタルジー込みで味わうか。
しかも、時間的な猶予はあまりない。どこまで修理するかを判断しなければならない。ABARTHも、最後の2台と言われてしまえば、悠長に考えている時間はない。Grande Pandaは魅力的だが、まだ日本仕様も価格もはっきりせず、不確実性そのもの。Grande Pandaはもちろん、ABARTHは未登録車なので、どちらも試乗できない。ちなみに、そんな状況を伝えながらChatGPTに相談してみたら、Grande Pandaを強く推してきた。Geminiに相談してみたら、ABARTH 695を強く推してきた。AIにも個性があるらしい。
やたらと仕事に忙殺された5月末から6月頭のスケジュールの中で、情報を収集しまくった。YouTubeを見まくった。レビュー記事を読み漁った。他に魅力的な車が存在していないことを何度も確認した。Grande Pandaは僕がかつて見に行ったFIATの工場「リンゴット」のモチーフを取り入れていることも理解した。あらためてABARTHのMTAの癖も調べた。乗り心地が硬いことも、最小回転半径が大きいことも、排気音がうるさいことも、それなりに手がかかることも、いろいろ把握した。

そしてとうとう、ABARTH 695の契約に至った。
最終的に、環境性能や省エネといった社会的要請をいったん脇に置き、個人的で享楽的な欲望を前面に据えることにした。もう、僕もわがままな選択をしてもいい年齢だと思った。おそらく、これが自分にとって最後の純粋なガソリンエンジン車になるだろう。もしその次に車を買うことがあるとすれば、自動運転や先進安全装備に囲まれた、もっと安全で、もっと穏やかな車を選ぶ年齢になっているはずだ。そのときにはもう、こういう少しバカげた車を選ぶ気力も体力も、あるいは社会的な許容も、残っていないかもしれない。だったら今なのだろう。そう思って、契約した。

それから1ヶ月ほどが経ち、昨日、めでたく納車となった。
白いFIAT 500と、オレンジのABARTH 695が並んでいる。小さな台形の車体。丸い目。短い鼻。愛嬌のある顔つき。やはり同じ血筋の車だということがよくわかる。ノスタルジーだの何だの言われてもいい。ナンバープレートは同じ番号を引き継いだ。キーホルダーも同じものを引き継いだ。ダッシュボードやリアプレートには500の文字が残されている。
その一方で、両者の違いも明らか。FIAT 500は穏やかなのに、ABARTH 695は筋骨隆々でキリッとしている。でも、やはりかわいい。これは重要なことだとあらためて感じた。どれだけ速くても、どれだけ高価でも、かわいくなかったら意味がない。僕にとってFIAT 500の魅力は、まずあの造形にあった。ABARTH 695は、そのかわいさを残したまま、やや過剰で、やや攻撃的で、やや悪ふざけのような雰囲気をまとっている。

ワクワクしながら、さっそくドライブに出かけた。
そして受けた印象は、FIAT 500の魅力をしっかり保ちながら、いろんな面で大幅にアップグレードした車、というものだった。思っていたよりもずっと普通かつ快適に走ることができる。同じサイズのボディでありながら、1,368ccの排気量と180psの出力は、875ccの85psとはずいぶん異なる体験だ。走り出しから余裕があるので、街中を流しているだけでも楽な気分。FIAT 500が懸命にがんばっていた急坂の登坂でも、ABARTH 695は平気な顔をして走る。
乗り心地も悪くはない。足回りはたしかにゴツゴツしているのだが、それが不快かというと案外そうでもない。むしろ、自分が自動車に乗っていることを強く意識させてくる。車体の小ささ、足の硬さ、排気音、ハンドルの手応えが合わさって、移動しているというより、機械を操作している感覚がある。そして排気音は、たしかにうるさい。うるさいのだが、気持ちがいい。理性的には静かな方がいいに決まっているし、近所迷惑にならないかも気になる。しかし、アクセルを踏んだときの音には、明らかに気分を上げる成分が含まれている。これは、ある種の演出なんだな。

乗り換えたばかりで、いろんなことに気がついた。
小さな車体に大きなエンジンを詰め込んだ結果、アルファード並みになってしまったという最小回転半径は、もう少し慣れれば問題なさそうだ。セミバケットシートの座り心地は、思っていたよりもずっと良好なんだけど、降車の際には太もものサポートを乗り越えるのには難儀する。ハンドルにある親指の置き場所は手にすっと収まる。こういう身体との接点は、乗るたびに効いてくる。結構影響が大きいのは、シフトノブがなくなったこと。この車のMTAは、ボタンでギアを選ぶ。運転中の左手の置き場に困ったし、バックギヤに入れる際には、何度も空振りした。そして、広い平面駐車場に置いてしばらくしてから戻ると、無彩色だらけの車の中でソリッドなオレンジ色が異様に目立っていた。彩度の高い車って、今の世の中に逆行しているんだな。
もちろん、日本車のおもてなし感とはほど遠い場面や、設計の古くささや謎を感じる場面はたくさんある。自動ブレーキやオートクルーズなどの現代的な安全装置や快適装置なんて、ついていない。あいかわらず、サイドミラーは手動で格納する。あいかわらず、セルモーターを動かすのは、キーを差し込んで回す。バックモニターもないが、センサーで障害物を検知してくれるようになっただけでもありがたい。USBが搭載されたのはありがたいが、Type-CではなくType-A。Apple CarPlayが使えるのはありがたい。ドリンクホルダーのペットボトルが容易に倒れなくなったのはうれしい限り。以前の設計は何だったんだろうか。
さらにすごいなあと思ったのは、僕にはまったく必要がないブーストメーターが、視界の邪魔をしてくること。過給圧を知りたい人生を送っていないので、できれば撤去したい。さらに、セミバケットシートの背もたれ調整ノブが、ドアを開けないと回しにくい。本当にアホみたいな仕様だけど、そういうところも含めてイタリア車なのだろうと、無理やり納得することにした。

つまり、かなり満足度が高い。
ずいぶん高額を支払ったし、経済性は微塵もない。うるさいし、硬いし、便利になったわけでもないし、地球にも厳しい。しかし、いい買い物をしたと感じている。
白いFIAT 500からオレンジのABARTH 695への移行は、穏やかな日常車から、少し騒がしくて、少し過剰で、少し時代遅れになりつつある趣味車への移行だ。これは進化なのか、後退なのか、寄り道なのか、逃避なのか、挑戦なのか、自分でもまだよくわからない。ただ、少なくとも今の時点では、かなりうれしい。そしてたぶん、こんなうれしさは、いわゆる理性に基づく合理的な選択からは生まれないよな。おそらく「かわいい」は、合理性も不便さも時代錯誤もまとめて包摂してしまう強力な概念なんだろうな。