はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

インド

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インドという国は、人生観が変わって何度も行きたくなる人か、衛生面や喧噪が全く受け入れられず二度と行きたくなくなる人に二分されるという話を、何度となく聞いていた。その国に、はじめて行ってきた。国際交流基金ニューデリー日本文化センターにて開催されている海外巡回展『構築環境:もう一つの日本ガイド』のオープニンレクチャーに派遣していただくという幸運を得たのだ。本展の内容については、別の機会に触れておかねばね。

インドの印象を二項対立的に扱うのはたいへん乱暴だなあと思っていたのだが、実際に行ってみると、その感覚がわからなくもない。なにしろすっかり魅了されてしまったので。もし僕がそこそこ若い頃にこの国を訪れたら、価値観がガラリと変わったかもしれない。

例えば、自分と社会の関わり方について、日本とはまるで異なるという印象を強く受けた。まだうまく言語化できていないが、自分と他者を完全に分離して捉えている気がする。人がなにをしていてもそんなに興味を持たないし、役割以外の仕事を全くしないし、特に交通においてはパーソナルスペースのような物理的距離が異様に近いし、どこに行ってもやたらと人が多いし。

そんなことをぼんやり思いつつ忖度だらけの日本を振り返ってみると、あの人もきっと同じように考えているに違いないとか、こちらの気持ちを察してほしいとか、あなたのためだからとか、自分の延長線上に他人を置く傾向が強いように思えてならなくなってきた。つまり、自己と他者の境界をあいまいにしながら、他者に過度に期待して要求しているのではないかと。うすうす気付いていたが、結果的に無駄になる余計な仕事を不用意に求めるとか、準備は完璧にできているのに本番のトラブルにはめっぽう弱いとか、設定されているルールを過度に信奉するとか、極めて日本的なんだなあと思うに至った。

まあこの他にもいろんなことを感じた旅だったな。今後もカレーを食べながら、少しずつ考えを進めていこうかね。

追悼

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今回はいつにも増して、極めて個人的なお話。

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ドイツのケンプテンを拠点に活躍していた構造エンジニアで、個人的にも親しい友人だった増渕基さんが、先週の3月5日に急逝しました。残されたご家族のご心痛をお察し申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。僕もいつでも彼の在りし日のことを思い出せるよう、個人的な記録をここに残しておきます。

この一週間、僕は抜け殻のようになってぼんやりと時間を過ごしたり、彼と出かけた際の写真を繰り返し眺めたり、SNSなどで彼とやりとりした記録を見返したりと、深い喪失感を味わってきた。うすうす気付いていたけど、僕は彼に憧れていたようだ。

それは僕がまだ会社員だった頃、彼が大学生アルバイトとして同じチームで一緒に仕事をしたときからすでに感じており、日本にとどまらず世界の構造デザインをリードする人物であることを確信していた。その次の職場でも彼に手伝ってもらう時期があり、さらに欧州滞在時にはずいぶんお世話になった。彼の思慮深い真摯な姿勢には、常に影響されてきたと感じる。その証拠に、僕の外部記憶装置であるこのブログには、彼に関する記載が随所にある。しばらく時間をかけて、それらをゆっくり振り返ってみよう。

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彼のツイートを起点として緑の捉え方について少しやりとりをした。そのことに触れた際の写真は、彼が運転をする車の助手席から撮ったもの。

 

この橋のことは彼も気になっていたようで、すぐに調べて情報をくれた。

 

専門誌に掲載された彼との共著記事に、この橋の設計者であるマルテ氏へのインタビューの内容を書いてくれた。

 

コンツェット氏によるトレッキングコースをともに歩いたときは、本当に楽しく素晴らしい体験だった。彼がいなければ実現することはなかっただろうな。もちろん、共著記事のネタにした。

 

コンツェット氏へのインタビューは、僕がケンプテンに行く算段をしているときに彼から提案された。彼は著名な構造設計家の設計思想を探ることを、まるでライフワークのように楽しんでいた節がある。僕としてはその姿勢にすっかり便乗していた。

 

(3/12はここまで)

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この夏から日本で仕事をすると聞いており、まさにこれからという機が熟した状態だった。そして、多くの方が今の日本に必要な人物であることを意識していたように感じる。それだけに、本当に残念でならない。

建てなかった建築

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先日、春日部の外郭放水路を取材した際、浦和の埼玉県立近代美術館で開催されている企画展「インポッシブル・アーキテクチャー もうひとつの建築史」にも行ってきた。ともかく、多少無理して見に行けてよかった。この展覧会から個人的に受け取った、苛立ちや怒りに似た感情に基づく未来への希望は、多くの人と共有したい気分になったな。3月24日(日)までなので、時間を作って行こうね。

昨年後半から複数の関係者の方々から本展のことを伺っていたので、すごく楽しみにしていた。ところが諸々の用務が重なってしまい、昨年末から他の行くべき展覧会にさっぱり行けておらず、この機会を逃すと本展もやばかったというのが実情である。まあ、新潟、広島、大阪に巡回するので、どこかでリカバーできたのかもしれないが。

時間軸と建築家の系譜というスタンダードと思われる整理がなされているためか、建築の専門教育を受けていないなりにもフムフムと言いながら鑑賞できた。もちろん全貌を把握するには、それなりに時間も体力も要した。なにしろ、展示内容はコンペなどの出展作が多いため、極めて強いコンセプトやメッセージが前面に出ており、コッテリした印象が強かった。合っているかどうかはわからないが、そこにはかつては理想の社会をつくるのは自分たち建築家の責任だ!という気概に満ちているように見え、やがてそれは建築界と社会の長きにわたる軋轢に接続しているように思えたな。

とにかく最大の見せ場は、最終盤のザハの新国立競技場。このための準備として、他の展示があるのではないかと思えるほど。わけがわからない状態で葬られた「インポッシブル」建築の展示には、泣きそうになるほどの情念が溢れだしていた。すっかりしょぼくれた気持ちを、山口晃ならぬニセ口晃(会田誠)による「シン日本橋」が、シニカルで乾いた笑いに転換してくれたのは救いだった。いや、これもものすごく重要な問題提起だよね。絶望と希望が入り交じる混沌とした未来が、冒頭のロシア・アヴァンギャルドに呼応しているようだった。

見に行くことはもちろんだけど、図録は必ず入手しようね。カバーとか時系列の整理とか、変態的な凝りよう。十分な情報量とそれらの結びつけ方が巧みで、気になったところを読み解くだけでも楽しい。「インポッシブル」の上の黄色いラインについては、実際の展示を見ればよくわかるよ。

そうそう、展示会場にフォトスポットがないのがとても残念だった。役所的ルールなんぞはさっさと乗り越えて、SNSなどを有効に活用してほしいよね。あと、冒頭のタトリンのモンタージュCG映像のBGMがストラヴィンスキー「春の祭典」だったんだけど、前に進まない永久ループだったので頭にこびりついて離れなくなって困った。