はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

スケールの拡大

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ワンテンポ遅い夏休みを取って、復興事業が急ピッチで進められている東日本大震災の被災地を巡っている。ちょっと思うところがあって、自分の車で千葉から北上しているのだ。東北のスケールやリアス海岸の急峻な地形を舐めていたわけではないのだが、思ったように進んでいない。まあそれも獲得すべきリアル体験なので、想定通りと言えるわけだが。

リアス海岸の地域では特に津波が高かったこともあってか、比較的小さな河川でも凄まじい高さの堤防が築かれている様子をしばしば目にした。石巻雄勝町の河川では、以前は写真手前の黒ずんだコンクリート護岸が基準高さだったと思われるが、倍を越えるほどになっているようだ。

考えればあたりまえのことなのだが、防災のために堤防の高さを上げると、必然的にそこに架かる橋は高い位置にせざるを得ない。そうすると、必然的に橋は長くなるし、必然的に橋に取り付く道路も長くせざるを得ない。つまり、必然的に経済や環境にかかる負荷が拡大しっぱなしになる。

今回の旅では、いろんな土木構造物のスケールが自分の中の標準サイズをはるかに超えて、途方もなく拡大し続けていることを目の当たりにしている。これが近代科学文明のエントロピー増大というやつなのか。

ポツダムの塔

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昨日は終戦記念日もしくは終戦の日だったので、なんとなく気になって、その成り立ちについて復習してみた。1945(昭和20)年7月26日に米英中により発せられたポツダム宣言を受諾して降伏したのは、2つの原爆が投下されてソ連から宣戦布告がなされた後の8月14日であり、国民に降伏を知らせる玉音放送が翌15日に行われたこと、さらにポツダム宣言の履行文書への調印と即時発効が9月2日であり、それを終戦記念日としている国が多いことなどを、いまさら学習した。

その最中に、あれ?そういえばポツダムって僕も行ったことあんじゃね?と感じて、急いで過去の写真を捜索したところ、2011年の7月に立ち寄っていたことが判明した。この日は朝9時にベルリン市内でレンタカーを借り、約120km離れたデッサウの「バウハウス」をたっぷり味わい尽くし、そこから約20kmのところにある巨大重機が添えられた露天掘り炭鉱リノベ野外イベント会場である「フェロポリス」に大興奮したことを、よく憶えている。たいへん濃密な一日だったわけだが、同行していた友人からメンデルゾーンの「アインシュタイン塔」ってのが道中にあるから寄り道しようよ、と言われた気がする。え?なにそれ、メンデルスゾーンじゃないの?と言ったかどうかは定かではないが、とにかくポツダムに立ち寄ったことをぼんやり思い出してきた。上の写真の時刻は19時20分頃なので、到着時はすでに朦朧としていたことが想像できる。まあそんな言い訳はさておき、自分の中にしっかり定着できていなかったことは大いに反省したい。

エーリッヒ・メンデルゾーンが設計した「アインシュタイン塔」は、アルベルト・アインシュタインによる一般相対性理論から予測される現象を検証する観測所としてつくられたという。コストの都合でコンクリート造をあきらめて、レンガ造+コンクリート被覆にしたらしい。現地の案内板には1920年から1922年にかけてつくられて1924年から使われはじめたと書かれていたが、ネット情報はいつものようにやや食い違っているので、正確な情報取得はあきらめた。

この彫塑的でえぐみが強い形態を持つ建築物は、ドイツ表現主義の代表作なんだそうな。それがなにかは知識不足ゆえにピンとこないのだが、エネルギーが凝縮されたヤバい解答であることは強く感じられる。全体のフォルムとか、半地下の構成とか、窓周辺のヘコませ方とか、雨樋のつまみ出し方とか、階段の造形とか、なにかとすごいよね。内部に入れなかったのは残念だけど。個人的にはバーゼル郊外の第2ゲーテアヌムの重厚感というか威圧感のほうがはるかに強烈に感じるが、後世に大きな影響を及ぼした建築物であることは間違いなさそうだね。

使用済み未成線橋梁

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下北半島を北上しているとき、未成線である大間線の遺構がいくつか目に入った。用務からの帰り道、その中で最もインパクトがあったアーチ橋に立ち寄ってみた。威風堂々たる7径間連続のコンクリートアーチ橋だ。この橋のことをネットで調べてみると、二枚橋とも二枚橋橋梁とも二枚橋アーチ橋とも書かれており、1943(昭和18)年に工事中止になってそのまま放置されたとのことだ。

それらの記事中には、鉄筋の代わりに竹筋が使われているとの記述もあった。そういえば、ずいぶん前に函館の戸井町で見た連続アーチもまことしやかに竹筋コンクリート製だと聞いた記憶があるな、もう20年くらい前のことだろうか、などと記憶を辿ってみたが、その時に撮ったはずの写真は見つけられなかった。ネット情報によると、どうやらその戸井線と大間線は、連絡船によって結ばれるセットの路線だったらしいね。

それはさておき、南側の高台にあった小学校に通っていたというご老人から、この橋を眺めながら貴重なお話を伺うことができた。少し聞き取りにくい部分もあったけど。その方によると、大間線自体は未成線ながら、この橋はなんと森林鉄道として実際に使われていたのだそうな。勾配がきついこの橋を登る汽車をいつも小学校から眺めていた子どもたちは、運搬している材木の量が多いときに「がんばれがんばれ」と懸命に声援を送ったんだよ、でも結局ズルズル後退していくこともあったんだよ、というエピソードには胸が熱くなった。セピア色のノスタルジックな光景が目の前に現れた気がしたな。