はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

熱海らしさ

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全く知らない町でも、意図的に自分の感度を上げて1時間くらいフラフラ歩き回っていると、なんとなくその町の特性が体に染みこんでくる気がする。次第に発見が増えていくというか解像感が増すというか、ともかくその街の風景の見え方がクリアになっていく感覚。コツを得てようやくこれからと盛り上がってきたところで、たいて時間が尽きてしまう。魅力的な眺めが満載の熱海であっても、やはりそのくらいの時間を要した。まあ今回は先に暑さでバテてしまったわけだが。

一時期の低迷期を経て人気がV字回復してきているという熱海は、思っていた以上に高低差が凄まじい土地だった。最盛期だったというバブル経済期前の雰囲気も、そこかしこに色濃く残っていた。無理やり接続された道路や路地の空間、昭和後半に建てられたであろう建物の地形をしれっと無視しているファサード、地形を無視しきれないディテールのおさまり、ようやくはじまった新陳代謝など、歩いている間に引き込まれたポイントがいくつもあった。

おそらく複雑な地形だけに複雑な土地形状になり、さまざまなスキマが発生しやすいのだろうね。水平方向にも鉛直方向にも豊かな様相で。そんな立体的なスキマに生じる現象をコレクションするように眺めていくと、もっともっと面白くなるんだろうなあと、後日写真を見返しながらようやく意識化できた。そして、上の情報量が多い写真が、僕の体験した熱海を凝縮して表象しているように思えてきた。取るに足らない街並みの写真のようだけど。

こうやって再訪したい街が増えていくんだよな、すでにもう回りきれないくらいに。

後から履いた網タイツ

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伊豆の国市にある韮沢反射炉に行ってきた。沼津港にほど近い山中に、江戸幕府によって1857(安政4)年につくられた、鋳物鉄を溶かして大砲などを生産するための極秘軍事施設だ。7月の終わりにたまたま萩反射炉を見てきたので、1ヶ月程度の間に国内に現存する反射炉をコンプリートしたことになる。2つしかないけど。ちなみに、どちらも世界遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成要素に指定されている。試行錯誤しながら急速な近代化を進めた象徴としての価値が認められているってわけだね。

韮沢反射炉の外観は強烈なインパクトがある。江戸時代の軍事施設なのに、イッセイミヤケのバッグブランド「バオバオ」か、セクシー網タイツかというほど印象的。しかしこれって実は、耐火煉瓦でつくられた本体の保存のために大規模な耐震補強が行われた結果の姿なのだ。トラスの補強材が組まれたのは1957(昭和32)年、現在のフッ素樹脂塗装が施された鉄骨は1988(昭和63)年に差し替えられたもののようだ。オリジナルに近い姿や1908(明治41)年の補強時の姿は、韮山反射炉ガイダンスセンターの展示物などで確認することができるので、対比して観察してみるとなお楽しいよ。

僕らが抱く韮山反射炉のイメージは、すっかりトラスの耐震補強込みになっていると思う。実際にその姿を眺めていると、保存修復という概念は一体なんなんだろうと、ムズムズしながら考える場面に直面する。建築物などの作家の手による「作品」とは異なり、使われてナンボの土木構造物や産業施設については、オリジナルの姿でなければならないってことでもなさそうだね。もう少しやりようがありそうな気もするが、なにを乗り越えてなにを伝えていくのか、そのコンセプトを共有することこそが重要なんだろう。伊豆の国市韮山反射炉PRキャラクター「てつざえもん」なんて、完全に時代を超越しているし。

整っていない大階段

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福島県相馬市の伝承鎮魂祈念館に向かう最中、防潮堤に張り付いている大きな階段が目に止まった。その存在感と同時に強い違和感を抱きつつ、ザワザワしながら通り過ぎた。

この階段のすぐ先にある祈念館と慰霊碑を訪問し、震災前と震災直後の風景写真や映像を見ることで、この地域で起きたことをイメージするように努めた。その後に階段に引き返し、目の前に広がる原釜尾浜海水浴場と、被災後にかさ上げされて防災緑地の整備が進められているエリアを眺めて、先ほど写真で見たかつての集落を頭の中で再構成した。

そして、大階段の昇降を体験した。どうやらこの階段は、昨年の夏に再開した海水浴場からすみやかに高台の避難場所へ移動するための施設のようだ。おそらく防潮堤と道路が平行ではないのだろう。階段工の平面形状はカーブしながら変化しており、4つのブロックで蹴上げ高や踊り場の位置などが異なるという奇妙な現象が起こっている。高欄や手すりなどの作工物からも、そのズレっぷりが確認できる。

この場所のシンボルとなり得る規模の大階段なのに、日常の風景はさておき緊急時の利用のみを考えた構造物。なるほど、緊急の整備というのは落ち着いて考えれば誰もが配慮する思考すら奪ってしまうのだなあと、あらためて感じた。 

ちなみに海辺にある伝承鎮魂祈念館には持ち主不明の写真がたくさん残されており、その一部が展示されていた。それをいくつか拝見しただけでも、すっかり揺さぶられた。