はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

街のおもしろポイント

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ときどき、自分の意思とは無関係にセレクトされた地方都市に出張に行くことがある。そんな時には、まち歩きのトレーニングをする機会だと捉えて、現地のことを事前に調べずに乗り込むようにしている。

少し前には、長野市に行ってきた。用務の隙間に1時間ほど確保できたので、近くを軽く散歩してみた。スマホの地図をざっと眺めながら、道が込み入っているエリアを徘徊し始める。街の雰囲気を味わいながら、よりディープな方面へフラフラと。そのうちに面白いと感じるポイントが、ぼんやりと見えてくる。

ここでは、暗渠を含む水路がおもしろポイントなのでは、と思うようになった。マップ上の幹線道路と細街路の入り組み方が独特だったので、早いうちから期待していたが、高低差や建物の張り付き方とセットで観察するうちに、徐々に魅力的な風景を採集できるようになってきた。

よし、じゃあ本格的に歩くか!というタイミングでタイムアップ。後ろ髪を引かれる気分で切り上げると、再び訪れたい気持ちが芽生えるので、ちょうどいいよね。

地球を感じる秘密の穴

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若者たちに連れられて、館山にある秘密の地下施設に行ってきた。それは「館山海軍航空隊赤山地下壕跡」という。東京湾の入口に位置する館山には数多くの戦跡があるというが、こんなにすごいものがあるとは知らなかった。

何がすごいって、表面に現れた地層の紋様と素掘りの跡のコラボレーションが、圧倒的なスケールで展開していることだ。太古の地殻変動のためか、砂岩や泥岩の地層は全体がダイナミックに斜めになっている。ところどころに断層や地滑りらしき痕跡も見られる。そんな地球の胎動ががっつり感じられる広大な地下空間は、おそらく戦時中に人々がノミによって掘ったものだ。スケールが全く異なる痕跡の共演に、クラクラしっぱなしになった。

あらためてこの辺りの歴史と地理を勉強してから、三脚を携えて再訪したいな。

バズワードの効用

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ふと気がつくと、9月も中旬になっているではないか。先月下旬に森美術館で開催されている『建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの』へ行き、その時に書きなぐったメモを簡単に整えておかねばと思っていたのに、すっかり時間が経過してしまった。もう一度観に行ってからにしようなんて甘い考えを持っていたことを、大いに反省しなければ。

本展のざっくりとした感想は、未見の人は観に行った方がいいよ、ということ。何しろ、建築の知識があろうがなかろうが、「日本」や「遺伝子」という言葉に引っかかろうがそうでなかろうが、それぞれの興味を膨らませることが可能となる楽しい展示なので。あと3日しかないけどね。

各種ビジュアルや空間体験など、多方向から過剰とも言える工夫がなされており、知的好奇心が駆り立てられっぱなしになった。しかし、情報のボリュームがありすぎて、わりと早めにおなかいっぱいになってしまうことは、うれしい苦情として申し上げておきたい。こちらは4時間もかけたのに全てを見て回ることができず、心身ともにクタクタになってしまった。いや単純にこちらの知識不足に起因するんだけど。

この展示の鑑賞方法としては、会場の全てを理解しようとするのではなく、興味が惹かれたものを見つけてその周辺を詳細に見るスタイルがいいのかもしれない。抵抗なく全体像を受け止められる人は、専門性がとても高い人か、思い上がった人だけだろうな。

「超越する美学」「連なる空間」「集まって生きる形」などのやや抽象的な言葉でまとめられた9つのセクションは、時系列や材料や工法などに基づく既存の見方から脱却するために提示した切り取り方なんだろう。これらのセクションのありようは、専門的な知識を有している方々の異論反論に繋がることは理解できるし、議論の起点になり得ると思う。

SNSなどで散見される「テレビ番組でよく見るような日本バンザイ論調に辟易した」ということは、ほとんど外れていると言っていいだろう。まあ、ここら辺はバズワードに対する脊髄反射みたいなものなんだろうね。そんな浅い話をこんな大きなプロジェクトで展開するはずもないし。とは言え、主催者側はそこら辺を見越して集客に結びつけている可能性はある気もした。

そう感じたのは、「遺伝子」というキャッチーな言葉の投入の仕方。記号的なわかりやすさがある反面、「血液型占い」や「雨女・雨男」みたいな胡散臭さを感じ取ってしまい、抵抗感を持つ人も少なくないだろう。少なくとも僕はサッと身構えてしまったな。まあ展示内容から察すると、「遺伝子」よりも「ミーム」という概念が近いだろう。野暮ったく言えば「形態の決定原理」のようになるのだろうけど、「遺伝子」のほうが多くの人にずっと伝わりやすいもんね。

そんなことをつらつら考えるていくと、会場が森美術館であることが極めて重要って事実に気づく。まずはそこが前提。そもそも専門性が高いテーマなので、アカデミックなアーカイブという役割も重要なんだろうけど、それは建前ってところはありそうだ。だからこそ、建築の専門家が個々に持っている「オレの正義」や「オレの好き嫌い」などは、ほとんど問題ではない。圧倒的な数の「多様な人々」にどのように受け止めてもらうか、そこが勝負所なわけで。だとすると、エンターテイメント方向への振り方はもう少し大胆にやってもいいのかなあとも思えてくる。

また本展に限ったことではないが、「こうじゃない」という専門家の反応を観察すると、そのベースには自分中心の全能感があるのではと思うことがある。有り体に言ってしまうと、「オレが思い描く展覧会とは違う、けしからん」というだけの話だったりするもんね。

そんな風に考えながら、展示の企画や内容、それに対するリアクション、さらにそのリアクションを振り返ってみると、日本の建築界って排他的なんだなあという印象がうっかり強化されてしまった。おっと、これは身も蓋もない方向に行きかけているな。当初のメモ書きからずいぶん離れているじゃないか。いかんいかん、軌道修正しないと。