2007-07-01から1ヶ月間の記事一覧
僕は子供のころ、3年間ほど北海道の旭川に住んでいたことがある。近所には『旭橋』という鋼アーチ橋があり、日常的に目にして、触れていた。当時、この橋に関する知識は「戦車や路面電車が通っていた」ということくらいしかなかったが、ただならぬ存在感は…
南国の台北で見かけた擁壁。奇妙なことに、10m間隔で規則正しくツタが生長している。これは、コンクリート構造物の切れ目は湿潤になりやすい事実を、端的に示している。この擁壁は、設計段階でツタの生長を想定していたとは思えない。そもそも、見た目には配…
蘇我駅前の通りは、鉄鋼の街を象徴する景観になっている。“山アテ”ならぬ、“高炉アテ”なのだ。そのことを意識して高炉を配置、もしくは、道路を整備したのかどうかは不明だが、高炉が確実にランドマークとなる印象的な構図が形成されている。この景観を日常…
耐候性鋼材による鉄道トラス橋。耐候性鋼材ってのは、あらかじめ表面に錆を形成させて、それ以上の腐食を防止する鋼材のこと。塗り替えが必要ないため、塗装による防錆処理よりも維持管理の面で優れている。もちろん見た目は錆なので、嫌われやすい。「新し…
地下は迷いやすい。その理由はいくつか考えられるが、“迷い”の種になる“戸惑い”が生じやすいポイントがある。 それは、分岐と昇降。 直角や1階層のような明快さがない場合、さらに戸惑いは大きくなる。これが同時に出てくる場面は、なかなかの迫力だ。ゲー…
「美しい景観を創る会」の主張はごもっとも。これまで15年ほど実務や研究なんかで景観に関わってきた者としては、基本的な考え方には賛同する部分が多いし、ありがたいと感じる部分もある。しかし、住宅都市整理公団総裁の大山顕さんが述べているように、…
住宅地の中のコンクリート擁壁。 大きなスリットを組み合わせて面に表情を持たせている。上下に違いをもたせて、壁面を視覚的に分割するといった工夫がなされている。 しかし結果は、少々みっともないことになっている。外観への工夫が逆方向に作用している…
あまりにも唐突である。平坦地にわけのわからんコンクリートの塊が置かれているのである。その幾何学的形態は、なんとも言いようのない異様さを放っている。これは函渠、もしくは、ボックスカルバートと呼ばれる道路構造物である。この上に土が盛られ、路盤…
乱暴な言い方をすると、多くの人は工業の風景が見えない。 なぜなら、多くの人は工業を“悪”として捉えているから。 できるだけ自分から遠ざけたい存在だから。ところが、少々風向きが変わってきた。 そのきっかけは、『工場萌え』(石井哲、大山顕)の出版。…
1999年のコペンハーゲンの街並み。 よく見ると、空中に道路用の照明灯が浮かんでいるのがわかる。細いケーブルを沿道の建物に直接アンカーして、灯具を吊り下げているのだ。 いままでの日本人の感覚だと、自分の建物に公共の施設を取り付けるだなんて、なか…
“日本最古のコンクリート電柱”が函館にある。 つくられたのは大正12年(1923年)。いまでも現役である。 その断面は、なんと正方形。 なるほど、当時は電柱も場所打ちだったんだね。 型枠は板だから平面になったんだね。 現在のコンクリート電柱の断面は、ド…
このような巨大装置は通常、“建築物”と認識されるように思う。ところが巨大装置は“建築物”ではない。建築物は通常、骨と皮によって“内部空間”を生み出すことが本質である。でも、巨大装置は内部空間の代わりにある“内臓”が本質なのだ。一般にギャップという…
“ピョウタンの滝”と呼ばれる構造物が北海道にある。天然の岩と人工の平滑面が共存するユニークな姿と、その組み合わせによって生まれた豪快な落水表情から、なんとも不思議な感覚に浸ることができる。 元々は発電用のダム(正確には堰堤)として、昭和29年…
首都高から中央自動車道を西進してしばらくすると、高尾山の中に入る。 カーブが多い登り坂を緊張しながら走っていると、巨大な構造物群が忽然と姿を現す。豊かな緑に囲まれたこのジャンクションは、異様な存在感を放っている。 構造物が周辺環境から完全に…