はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

自然と人為の境界

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気仙沼市の本吉地区を流れる沖ノ田川の河口部。2019年にはじめて訪問して衝撃を受けたが、その時はまだ工事中だったため、冷たい小雨が降る中で、あらためて見に行ってきた。

高さ約10mの堤防は、コンクリートでがっちり構築されている。もちろん川を遡上する津波から守るべきものを守るためだが、そこにある水の流れは生物の生息や人々のレクリエーションをきっぱり拒絶している。これは川と呼んでもいいものか、疑問に思わざるを得ない。

その一方で、背徳感とともに、かっこよさを感じる。自然の超絶な力に対して必死に抗う人為の眺めには、ある種の潔さや力強さが宿るのかもしれない。そう思いつつも、この姿は多くの人に望まれるものではないだろう。人間にとって、なんとも悩ましい風景だ。

高低差の折り合い

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狭い敷地の中で円弧を描くように高低差を解消している階段とスロープ。エッジの効いた段差と滑らかな曲面の対比は、得も言われぬ緊張感がある。周辺も含めたコンクリートのブルータルな造形とテクスチャーが、より印象強いものにしている。

なんというか、ここにはある種の純粋さが内包されている気がするな。美の実現を目論んでいない場面で、個別の理屈が衝突して生まれた独特の面白さと言ってもいいかもしれないね。

こんな眺めはそこら中に存在している気もするが、いざ収集しようと思って探してみても、そう簡単に見つからない。もちろん検索してみたところで、そんな情報はどこにもないし。

どうやら、手がかりは高低差にありそうだ。つまり、地形と人工物との接点に生じる水平と鉛直の両方向での折り合いを探索すると見つかりやすい気がするのだ。まあそれだけではないと思うけど、着目ポイントがひとつでも明確になれば、まち歩きも解像度を上げた状態で楽しめるよね。

 

 

世界の設定

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小説、演劇、映画、ゲームといった創作物では、その世界観を構成する要素のパラメーターを、創造主がルールとして設定している。例えば、主人公の性格の形成要因とか、物体に作用する重力のありようとか、ドラゴンの生育環境とか。その設定が強固でなければ、世界が破綻してしまうもんね。

創作物を受け取る側は、自分の内側にある常識と対比させながら、その世界設定を理解していく。現実世界と同じルールだろうが、使い古されたお約束のルールだろうが、とんでもない方向に飛躍したルールだろうが、それらの理解のプロセス自体が創作物の面白さの一部と言っても差し支えないだろう。

創作物から得られる体験と旅行などで得られる景観体験とは、僕の中ではずいぶん近接しているように感じている。そもそも違う国や地域に行けば、自分の中のルールが適用できない場面に多々出くわすもんね。地域の成り立ちを創作物の世界設定と同じと捉えれば、リアルな景観を読み解く行為の面白さもスッと飲み込めるんじゃないだろうか。

もしかすると僕らが生きているこの現実の世界だって、誰かが設定しているのかもしれない。そう考えると、いつもの風景も少し違う角度から見ることができるだろうね。