はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

火災映像

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首里城には何度も行っていた気になっていたのだが、最近の沖縄訪問では外側から見ただけだった。特に2013年の沖縄日帰りツアーでは、開場時間にギリギリ間に合わず、本殿を入口から眺めただけだった。今となっては、もう一度しっかり見学したかったなあと後悔せざるを得ない。せめて再建のための寄付を、しっかりしていきたいと思う。

今回の首里城の火災も、今年4月のノートルダム大聖堂の火災も、また、首里城火災の直前にあった札幌の元職場での火災も同様の感覚に陥ったが、個人的に大切に思えるものが燃えさかる映像はたいへんショッキングで、どうにもこうにもいたたまれない気持ちになる。もちろん洪水や津波の映像にも近い印象を受けるけれど、どこか違う面がある気がしてならない。

もしかすると、幼少期の体験が影響しているかもしれない。小学1年生の頃に近所で大きな火災があり、自宅の窓からずっとその状況を見つめ続けていたようなのだ。その時なにを感じていたのかは全く憶えていないが、強いインパクトの感覚は残っている。なすすべもなく少しずつなにかが失われていく映像を見ると、強い喪失感に襲われてしまい、再び見ることへの拒否感が生まれ、ついチャンネルを変えてしまう。

埋立地の記憶

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埋立地にずらりと並ぶ巨大団地と、豪雨で増水した夏は透明だったであろう緑色のプール。その水面にはラジコンの船が悠々と走っている。なんともシュールなシーンだが、いろんな思いを巡らせることができる、実に深みがある風景なのだ。

昨日は「思い出のこじま丸 ~千葉市海洋公民館こじまの航跡~」というイベントにて、トークセッションに参加させていただいた。開催場所はプールが併設されている千葉市美浜区にある高洲スポーツセンター。海までは2.2kmほども離れているこの地には、およそ20年前の1998年まで、実物の「船舶」をリノベーションした「海洋公民館」があった。僕も子供の頃に行ったことがあるような気がするが、明確には憶えていない。たいへん興味深い対象なのに、その当時の僕には理解できなかったのだろう。大学生の時も感度が低かったのだろう、せっかく近くにいたのに行かなかったことが本当に悔やまれる。

今回のトークセッションは、数奇な運命をたどったこじまの53年の生涯を振り返るものだった。僕も過去にチラホラ見聞きした話も登場したが、これほどまでに次々と困難が降りかかり、時代の波に翻弄され続けた船だったとは知らなかった。最後の余生を縁遠い陸地化した土地で、しかも公民館となって過ごしたという事実は、切なくも穏やかなストーリーだね。僕としては、とても刺激的な機会になった。

昨日伺った略歴を手短にまとめておこうか。

終戦直前の1945年3月、物資不足の中で貧相でさえない「志賀」という海防艦(軍艦の位置付けではないとのこと)がつくられた。終戦後すぐさま復員船として朝鮮半島から多くの人を帰還させた後に、機雷掃海艦に転用された。その際は米軍艦の前を走らせられるような、想像を絶する危険な職場環境だったようだ。そのブラックな労務環境を耐えると、次は米軍にスカウトされて朝鮮半島との連絡船「SHIGA」に変貌した。その際にはずいぶん無茶な機能強化が行われたという。米軍から退役すると、定点観測船「志賀丸」として気象衛星などがない時代の気象観測活動にかり出され、荒れる太平洋との戦いに日々を過ごした。ここまでで建造から9年間。次の12年間は、海上保安庁の巡視船「こじま」として、主に海上保安大学校の練習船の役割を担った。現在の海保の活動は、こじま抜きに語ることはできないとのこと。

そして船舶としての役割を終えて、1966年より32年間におよぶ第二の人生を歩むことに。広島県呉市との招致合戦を経て縁のない千葉市に払い下げられ、実際の船を活用するという極めて斬新な海洋公民館としてリノベーションされた。この時の航空写真を見ると、第1期の埋め立てにより出現した新たな海岸に位置していたことがわかる。どうやら千葉市の文化的支柱としての役割が託されていたようだ。そこには、どことなく失った海に対する贖罪のニュアンスがあった気配もある。その後の第2期埋め立てにより陸封され、建築基準法および消防法不適合となり、老朽化により解体撤去されて53年間の生涯を閉じた。

ああ、短く書こうとしても、こんなに長くなってしまった。

東京湾の北側はほぼ人工の土地である埋立地で成り立っているわけで、特に海岸線は都市のバックヤードになりやすい。地形的な必然性も希薄なので、地域性やアイデンティティーを得るための手がかりが少ない。そう思い込みやすいけれど、時間と空間のスケールを大きく捉えて抽象的に眺めてみると、いろいろ見えてくる気がする。そのヒントをこじまのストーリーが持っているような気がしてならないんだよな。もう20年前の話を蒸し返すつもりはないのだけれど、これが現存していたらなあという気持ちを拭うことはできない。いやあ本当にしっかり見ておきたかったなあ。

迷彩ペイント扉

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先日たまたま通りかかった複合商業施設にて、衝撃的な消火設備や電源設備の扉に出会った。そこそこの厚みがある石材をゴージャスに貼り付けて、おそらく地中海の石積風の演出を徹底している壁面もすごいが、なんとスチールの扉部分は手書きでペイントされているのだ。そのレベルの高さは感動もので、割り肌の立体感や質感が見事に表現されている描写、違和感なく石材に溶け込んでいる色彩、壁面との連続性が保たれた構成など、もしかして光学迷彩なんじゃないかと思うほどに溶け込んでいる。いざというときに認識できないのではないかと心配になってしまうよなあ。ここまで虚構のテーマパーク感を大切にしているって、ものすごい熱量だね。