はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

京都グリッドの呪縛


一ヶ月ほど前、京都に行く機会を得たので、古都って言っても現代の暮らしはどうなっているんだろうかねえと思いながら、うろうろと街を徘徊してみた。その際に、京都の地図を眺める度に気になっていた「後院通」にも行ってみた。
何をいまさらと言われると思うが、京都は東西南北で区割りされたグリッド都市である。それは、平安京でウグイスが鳴いて以降、1200年を超えてずっとそう。僕は札幌に10年近く住んでいたのでグリッド都市にもそれなりに馴染みがあるのだけど、京都は全く異質な印象である。おそらくその最たる理由は、区画の大きさや個々の敷地の大きさや路地の幅などに見られる「スケール」の違いだろう。このことは「ウナギの寝床の町屋」をイメージすれば、すぐに理解できるよね。さらに、直線でビシッと区切られているのかと思いきや、微妙な揺らぎが無数にある。地図を拡大してみてもわかるが、細部は思いのほかファジーな雰囲気で埋め尽くされているのである。そうしたことの背景に、なんというか、極東の島国の中で積み重ねてきた歴史の重みのようなものをひしひしと感じる。
そんなグリッドの街の中に、四条大宮と千本三条をショートカットするように、ズバッと斜め45度のラインが描かれている。不自然な秩序がある街区割の中において、さらに不自然で乱暴な道路である。これを気にしないわけには行かないよねえ。パリで言えばシャンゼリゼ通りのような為政者による強引な道なのかなあ、なんて期待を持ってしまうよねえ。で、ネットで軽く調べてみたら、明治時代に京都市電事業と地元業界団体との軋轢によって生まれたものであるらしいことがわかってきた。おおお、これはますます期待できるシナリオだね、なんて思いながら現地を訪れた。沿道にはマンションや個人商店などのここ40年未満くらいのどうってことのない建物が立ち並んでいるのだが、どうも雰囲気がおかしい。何となくよそよそしいのである。
少し進んでみると、すぐにその理由がわかる。多くの建物が、後院通に正対していないのだ。バルコニーが雁行しているマンションもあるし、ファサードは道路に平行だけど玄関の向きは45度ずれているなんて建物もざらにある。つまり、建物は京都グリッドを基準に建てられていて、幅員が広く立派な後院通は基準になっていないわけだ。この道に斜め45度で刺さり込んでくる細い路地が、完全に勝っている。
つまり、京都の人たちにとっては、明治の頃につくられた反逆的な道路の存在など、現在においても認めておらず、無視を決め込んでいるわけだ。きっと「建物はきっちり東西南北を向くものどすえ、家の中で上ル下ルとか言えへんと困るやろ、まあぶぶ漬けでもいかがどすか」なんてことなんだろうな。これが文化というものなんだろうな。はーおどろいた。