先月の上海訪問でも、いくつか室外機コレクションを鑑賞した。自分史上、上海と室外機は切っても切れない関係にあるのだ。上の物件は、個別の室外機のバリエーションが豊富で、配置には粗密があるというのに、全体的に整った伸びやかな印象をもたらしてくれる名作。いや、そんな印象を多くの方と共有できないってことは、なんとなく気付いているよ。
僕が室外機の魅力を意識しながら写真を撮ったのは、2006年11月の上海訪問の時だった。すっかり忘れていたが、当時はmixiに写真とともにその印象を記録していたことが確認できた。そして、室外機を鑑賞の対象として衝撃とともに意識したのは、2008年9月の上海訪問。これは「音楽的室外機」の中でとりあえず言葉にしている。そして、2015年からはtwitterにおいて「室外機コレクション」としてアーカイブしはじめた。もう12年も室外機鑑賞を続けているのかと思うと、あきれるね。
これらの過去の記録を概観すると、僕ははじめから室外機そのものよりも、配置に惹かれていることがわかる。それに「室外機コレクション」という呼称は、「自分が室外機の写真をコレクションする」よりも、「ビルオーナーが収集して陳列しているリアルな室外機コレクションを拝見する」というスタンスで名付けたものだ。これまでのところ、都市を鑑賞する際に自分勝手に見方を設定しながら眺めるって、とても重要だと思う。見えかなったことが見えてくる気がする。気がするだけかもしれないけど。