はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

擬木桁

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差し迫る年末感を伴って、長野県伊那市を訪れた時の写真を焦りながら見返していた。すると、高遠ダムのすぐ近くに架かる台形断面の鋼箱桁の歩道橋が目に入った。なんとこの歩道橋、桁の表面に木目調のペイントが施されている。高遠城址に近い場所であることから、木材の雰囲気を援用して「昔っぽさ」を生み出したかったのだろうなあと推察できる。

別の素材を木材に偽装した「擬木」は、なんとなく収集している。「わかりやすさ」に対する合理性が強いものや、考え方の稚拙さをカバーする高度な職人技に出会ったときには、とてもテンションが上がる。この物件はすっかり記憶の奥底にしまい込んでいたけど、ここまで大胆で精緻な擬木物件はなかなかお目にかかれないよねえ。いかんいかん。これを機に、もう少しちゃんとサンプルを収集しないといけないなあと思った。もろもろやばい年末だけど。

近い例として、アルミ製高欄に木目ペイントを施した素晴らしい事例を挙げておく。 

 

逃げ恥ロス

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TBSのテレビドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が大きな話題になっていることは、さすがに僕でも知っている。しかし、とても残念なことに、僕は一度も観ないままに終了してしまった。最終回だけでも観ておくべきだったなあと悔やんでいる。

と言うのも僕は、このドラマのタイトルを最初に目にしたとき、『逃げる世間は恥ばかり』という誤読をしてしまったようなのだ。別のなにかと認識が混ざっちゃうことって、たまにあるよねえ。自分から誤った認識をしたくせに、個人的につらさを感じる部分を不意に突かれた気分になり、第一印象がひどく悪かったことをうっすら憶えている。

普通ならば自分の認識を疑って二度見したり、興味を持って少し踏み込んで情報を得てみたりして、違和感を早々に解消するだろう。その後の世の中での人気の高まりに合わせて、素直にドラマを観ることで誤解を解いていくことも可能だっただろう。ところが僕にはその勇気がなかった。その点を大いに悔やんでいる。

社会の中の人間関係も同じこと。誤解やわだかまりなどは、まっとうなコミュニケーションによって解消できるはずなのにね。各々が最初の一歩を踏み出す勇気さえ持てば、世の中もっとよくなるだろうに。いずれにせよ、僕は『逃げるは恥だが役に立つ』との誤解を抱えたまま、その解消を時の流れに委ねることになってしまった。とんだ「逃げ恥ロス」である。

ちなみに上の写真は、同ドラマのロケ地にもなったらしい横浜の北仲橋。高欄や舗装などの付属物は、贅沢な素材を用いながらも上質かつ上品なデザインが展開されている。

クリスマス足場

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 およそ1ヶ月前、自分の職場のシンボルツリーがステキなことになっていた。イルミネーションの電飾を取り付けるための作業足場が組まれていたのだ。翌週同じ場所に行ってみたら、跡形もなく解体されていた。

2年前には有名な表参道のイルミネーションの準備に偶然出くわして感激した。その眺めと比べても、こちらもなかなかのもの。いっそのこと、この状態をライトアップすればいいのにねえ。パイプやグレーチングの金属とその中にある樹木とのコントラストが、ものすごくかっこいいだろなあ。