はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

自然を引用した楕円

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スイスアルプスの渓流沿いを歩くトレッキングコース「Trutg dil Flem」には、ユルグ・コンツェットが設計した7つの歩道橋が架けられている。それらの橋は美しい渓流を様々な角度から楽しみ尽くすための重要な視点場として設えられており、それらの橋自体がコース全体のシークエンスにおけるアクセントとして機能している。

そのシリーズの最上流に位置しているのが「Oberste Brücke」という、楕円形のコンクリート板にびっくりするほど繊細な高欄が取り付けられた橋。きっちりした幾何学的な形状で構成された姿は、渓流の眺めとのコントラストが強烈だった。

原案のスケッチでは、明らかに自然の石版を模した造形だった。そのため、コンツェットご本人に「なぜ周辺の自然環境に対比させるような人工的な造形に変更したのか?」と尋ねてみたところ、「いやいや、あれはポットホール(甌穴:水流によって小石が回転することでできた穴)を引用したんだよ」と即答していただいた。たしかにあの沢にはたくさんのポットホールがあったし、Oberste Brückeの架橋位置は特に多く見られた。なあるほど、たしかに自然って幾何学的な図形がちりばめられているもんなあ、あの橋の眺めが周辺環境と微妙なバランスを保っているのはそのためなのかと、すっかり感激してしまった。

彼の橋はこれまでもたくさん見てきたのだけど、極めてミニマルな形態に帰結していることが多いように感じる。それらは、真摯な姿勢で架橋環境を読み切った結果として現出しているわけだ。そのことが確認できたことは、インタビューの大きな成果だったなあ。

将来対応の角

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旭川の繁華街にあるビルの側面に、大量の角(つの)が盛大に飛び出していた。神田明神の近くで見たビルにも似たような角が生えていたなあと思い出したのだが、いまひとつその役割がピンとこなかった。SNSを通じて、複数の方から増築のための仕掛けだろうという話がもたらされたのだが、どうにもスッキリと腑に落ちてこない。

もしかすると、この角から将来対応のむなしさを感じたのかもしれない。楽観的で計画性のない、行き当たりばったり生き方を指摘された気分になったのかもしれない。思い描いていた夢を中途半端にあきらめてしまった人の姿を投影しているのかもしれない。

そんな風に悲観的な内省をしてみても、つらくなるだけだな。以前高岡で見た増築物件の楽観さは、まぶしいほどに魅力的だった。やり過ぎない程度の将来対応と、強引かつ柔軟な対応力を推進した方が、よほど楽しそうだ。

 


世界的な歩道橋

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数年前に九州に行った際の写真をほじくり返す機会があったので、その最中に大事な橋を再発見した。川口衞が設計した、別府の南立石公園の脇に架かる「イナコスの橋」だ。その構造形式は「サスペンアーチ式不完全トラス構造」とされているが、正直なところ僕には十分理解できない。おそらく、オーストリアで見たボーリンガーの橋と、スイスで見たコンツェットの橋の中間に位置しているんだと思う。

 あらためて写真を見ても、この洗練された構造物の姿には本当に感嘆するな。日本にも世界に誇る構造物が存在しているのだという事実を、あらためて噛みしめている。これ、もっと有名でもいいよねえ。構造も、材料の使い方も、ディテールも、本当に見事に調和している。それはそれとしても、境川の砂防の眺めもすごいな。