はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

防空壕にて

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先日長崎を訪れたとき、急斜面に広がる住宅地を少しだけ散策した。その際、何とも重々しい雰囲気を放つ緑地が目に止まった。そこは「長崎県防空本部跡(立山防空壕)」と示され、内部も一般公開されているということなので、ドキドキしながら立ち寄った。

1945年8月9日午前、当時の長崎県知事を中心に、3日前広島に投下された「新型爆弾」への緊急対策会議が招集された。会議が始まったとたん、電灯が消え、入口の戸が爆風で吹き飛ばされた。尾根を越えて2.7km離れた地点で2つめの「新型爆弾」が炸裂したことは、その直後より次々ともたらされた悲惨な情報により明らかになっていったという。

上の写真は防空監視隊本部が設置されていた地下空間。文章や映像などの他者のフィルターを経た情報であっても、それが実際に起こった場所で受け止めることは、情報の密度感が全く異なり、理解の強度が圧倒的に高まる。これは、ダークツーリズムという概念の重要な部分だと思う。

乗り越える

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このところ気持ちが沈むんだりイライラが募るニュースばかりで、未来に対する気持ちがうっかり萎えてしまう。でも今日は、しっかり踏ん張らなきゃなあと考えさせられる日だった。人災も天災も、乗り越えていかねば。

佐賀の水の礎

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佐賀平野は水に恵まれているわけではない。むしろ「照れば渇水、降れば洪水」と呼ばれてきた厳しい状況だ。広大な農地を潤し続ける水源を持つほどの大きな山はないし、干満差が大きい有明海は水害の被害をもたらすこともある。そんな環境の中で、人々は創意工夫を重ねながら水と付き合ってきた。つまり、利水と治水を土木技術によって両立させてきたのだ。

その象徴的な事例が、佐賀限定で「水の神様」と呼ばれている成富兵庫茂安(なりどみひょうごしげやす)の手による「石井樋(いしいび)」だ。嘉瀬川の水が山を下って佐賀平野に達する地点で勢いを弱め、大雨のときには遊水池に水を導いて洪水を防ぎ、同時に下流に広がる水田を潤す用水を確保して、さらにその水に土砂が入り込みにくくするという、いいとこ取りの画期的な水システム。もちろん当時のままではなく、随所に改修が施されているが、基本骨格は江戸時代初期につくられたというから驚愕する。

このすごさや面白さをいろんな人に伝えたいと思うのだけど、見た目からはわかりにくいってことがネックになってくる。水システムってのはいろんな施設が複合しているし、それぞれがたいへん地味なのだ。上の写真は石井樋の中でも最も特徴的な形態を持つ「象の鼻」と「天狗の鼻」。これだけ見ても、何のことだかわからないよなあ。橋やダムは単体で見てもある程度のことはわかるし、そもそも迫力あるもんねえ。それに比べちゃうと、なかなか難しいんだよな。