はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

ガウディの教会

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アントニ・ガウディの最高傑作とも言われる、バルセロナの郊外サンタ・クローマ・ダ・サルバリョーにあるコロニア・グエル教会。玄武岩の柱状節理をそのまま使った斜めの柱や、レンガのアーチや天井のリブ、有機的な形状からなるステンドグラスや椅子など、どこを見てもガウディ・ワールドにどっぷり浸かることができる。しかし、上層部につくられるはずだった大空間は存在していない。

近くにある資料館には、完成予想図とともに構造の根拠となるカテナリー曲線の模型なども展示されていて、いろいろ驚愕するよ。サグラダ・ファミリアへの理解も、一層進むと思うな。ちょっと行きにくい街にあるけれど、レンガを主体とするこぢんまりした街並みもとても楽しいので、バルセロナに行く際には立ち寄りたいスポットだね。

ガウディ建築を写真でしか知らなかったときは、アール・ヌーヴォーにも似たキラキラした造形や色彩から、僕にとってはうっとうしく感じる空間なんだろうなあなんて思っていた。しかし、あまりにも多くの方々がガウディを見逃すなと言うので、8年前に欧州滞在の締めくくりとして見に行った。そして、あっさり反省するとともに、アドバイスをくださった方々に感謝した。美の価値観がひっくり返るほどの空間体験は、本当に凄まじかったな。結果的に、6つのガウディ物件を興奮しながら見て回った。

構造を造形言語としてこれでもかと徹底的に使いまくる姿勢は、カラトラバなどの後輩たちにも引き継がれているように、スペインのお家芸なんだろうかね。ともかくスペインの造形力は、卓越していると思うな。

 

モダニズムの生い立ち

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先週まで国立西洋美術館で行われていた「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ―ピュリスムの時代」は、大型連休の終盤にようやく行くことができた。その内容はモダニズム建築を代表するル・コルビュジエ(シャルル=エドゥアール・ジャンヌレ)が描いた絵画を軸としながら、その時代や思想の変遷を、コルビュジエとその弟子たちが手がけた建築空間の中で味わうというもの。この空間体験そのものに、たいへん大きな価値を感じることができた。

自分にとっては、ファインアートと建築との関係を直視することが新鮮だったし、キュビズムの時代性を再認識することができたし、過去に訪れたことがあるコルビュジエ建築を追体験できたことも楽しかった。たいへんな混雑っぷりだったけど、どうにか行くことができてよかったな。

前川國男の設計による新館は、企画展に比べてずいぶん落ち着いていた。一息つきながら椅子に座って見上げた眺めが上のドット柄天井。柔らかい陰影ときっちりした図形が規則的に並ぶ天井をあらためて見ていると、展示物の鑑賞を邪魔されることなく、パースペクティブやシークエンスといった空間の豊かさが染み入ってくる理由がわかった気がした。いや、人混みで疲れていたところでホッとしただけかもしれないが。

 

偉大な業績からの

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先週、中国生まれのアメリカ人建築家であるイオ・ミン・ペイが亡くなった。なんと102歳だったそうな。彼が手がけた建築は、ルーブル美術館のメイン・エントランスになっているガラスのピラミッドが最も有名かもしれない。というか、活動の中心だったアメリカ大陸での建築作品を、僕が知らないだけなんだろうな。せめて自分が体験した空間を、過去の写真データベースを眺めながら思い出してみよう。

滋賀県のMIHO MUSEUMには2度訪問したことがある。最初はたぶん1999年頃で、2回目は2004年だった。次に、たまたまなんだけど、2008年と2010年には台湾にある東海大学路思義教堂というチャペルに2度行っている。そして、ルーブルのピラミッドや逆さピラミッドにも、2010年と2011年にも2度行っている。同じ対象を複数回体験したことで、それなりに親近感や印象深さはあるのだが、細かい記憶は若干薄れ気味だ。

当然かもしれないが、自分の写真は徐々に見られるものになってきている。逆に言うと、15年前の2004年の写真は、たいへんショボい。画質も悪いし発色も悪いし構図も悪いし、どうにもならない写真ばかりで、たいへんがっかりしている。今のiPhoneよりずっと性能が低いコンパクトデジタルカメラという機材の問題は大きいけど、まあ腕の問題が一番大きいな。どうりでブログに残していないわけだ。

思い起こしてみると、2005年から本ブログの前身となる記録をmixiという懐かしのサービスではじめた。そのあたりから写真を見せる見られることを意識しはじめたのだろう、少しずつ良くなっている。さらに、2010年後半の欧州滞在前後から、写真への態度が明確に変わったように感じる。つまり、対象の記録を良い状態で残そうとしているように思えるのだ。まあそのような気持ちが後の書籍化につながったのかもなあ。

2004年に撮ったMIHO MUSEUM連絡橋の写真を、ムキになってAdobe Lightroomで調整しまくってみた。あたりまえだが、限界が極めて近い。やはり撮影時からしっかりした状態の写真を記録する意志を、強く持っておくようにしたいね。ちなみに、最初のMIHO MUSEUM訪問はデジタルカメラではなかったので、現時点で手元に記録がない。この調子だと、見返してもあまり意味がないかなあ。

ペイの仕事をきっかけに、うっかり自分のことばかり振り返ってしまった。でも、他者に対する追悼とは、残された自己の振り返り行為を包含するものなんだと思うな。また見に行きたいなあという気持ちが強くなったわけだし。

 

以下の記事は、自分と写真の関係について。