はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

伝説と廃墟と神秘

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僕がティンタジェル城歩道橋をたっぷり体験できたことは、余裕を見込んだスケジュールが功を奏したとか、僕の日頃の行いが良いとか、朝の番組の占いがラッキーだったとか、たまたま晴れ男の効果が発揮されたとか、そんな話ではない。きっとこの奇跡的な体験は、ティンタジェルで生まれたというアーサー王のご加護に違いない、そう思い込むことにした。

それゆえ、かつて瀕死のアーサー王が流れ着き、埋葬されたというグラストンベリーに立ち寄った。もちろん諸説あり。この街の中央部にあるグラストンベリー修道院は英国最古のキリスト教修道院と言われ、12世紀にアーサー王とその妻グイネヴィアの墓と骨が「発見」されて修道院の中に埋葬され、16世紀に解散・略奪・破壊の憂き目に遭ったという。

眉唾なこともいろいろ含まれているが、この廃墟は想像以上にすごかった。なんというか、イギリス人が退廃的な眺めに美しさを見出し、そのありようを愛でる空気が感じ取れる。個人的にこれまでずっと警戒していたピクチャレスク、ロマン主義、ゴシック・リヴァイヴァルあたりを、少し勉強してみようかなという気分になった。

ネットで少し調べてみると、グラストンベリーの街全体がとても有名なパワースポットだという。なるほど、僕も導かれるように立ち寄ったのは、このパワーのせいなのか。もしかすると、この感じはスピリチュアル方面への入口なのかね。

グラストンベリーといえば、大規模な野外ロックフェスティバルが開催されている街でもある。そのことは、帰りの飛行機の中で映画「キングスマン ゴールデン・サークル」を見て確認した。また帰国後には、あらためてアーサー王伝説の知識を付けるために、ネット上の評判が比較的良かった1981年の映画「エクスカリバー」を鑑賞した。内容も映像もモヤモヤすることが思いのほか多かったものの、アーサー王伝説がイギリス人の構成要素の一部であることが確認できた。

もうひとつ余談を。この廃墟に隣接する公共駐車場のパーキングメーターが壊れていた。こんな状態で料金が取られるわけなかろうと思いつつ周囲を見渡すと、何人ものイギリス人はダッシュボードに駐車した時間や故障の様子などを記載した紙を置いていた。パーキングメーターの前でどうしようかと悩んでいたら、ご婦人がしっかり証拠写真を撮っておきなさいねとアドバイスをしてくれた。どうやらイギリスは違法駐車にはえらく厳しいようなのだ。そこにはアーサー王のご加護は効かないと思うので、気をつけよう。

イギリスの大偉人

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イギリスの公共放送局であるBBCは2002年、「100名の偉大なイギリス人(100 Greatest Britons)」というランキングを発表した。その当時、僕のまわりがざわついたことをなんとなく憶えている。なにしろ、超有名人を押さえて第2位となった人物が土木技術者のイザムバード・キングダム・ブルネル(Isambard Kingdom Brunel、1806-1859)だったのだ。

ウィキペディアの当該ページによると、シリーズ番組制作のために投票と討論によって決定されたという。とりあえずトップ10を見てみると、1位:チャーチル、2位:ブルネル、3位:ダイアナ元妃、4位:ダーウィン、5位:シェイクスピア、6位:ニュートン、7位:エリザベス1世、8位:ジョン・レノン、9位:ネルソン提督、10位:クロムウェルとなっている。参考までに、スティーブン・ホーキングは25位、ナイチンゲールは52位、フレディー・マーキュリーは58位、チャップリンは66位だ。ちなみに、モンティ・パイソンのメンバーは一人も入っていない。どうやらブルネル大学の学生による組織票があったようだが、それを踏まえても、土木技術者が一時期トップ争いをしていたという現実は、なかなか理解しがたいところだ。

ブルネルの父マークは、シールド工法を開発してテムズトンネルを成功に導いた人物だ。その息子は父の後を継ぐように鉄道技師となり、橋梁、トンネル、駅舎などの設計を行い、さらには大陸横断蒸気船も開発した。そのブルネルがBBCのランキングに入ったのは、イギリス人の誇りであろう産業革命を支えた人物として評価されたんじゃないだろうかね。産業革命の本質は、人と物の大量高速移動に由来している気がするし、それを実現した鉄道技術が評価されるのは自然なことなのかもしれない。まあ日本ではこんな現象は起こらないだろうな。

そのブルネルが設計したロイヤルアルバート橋は、昨年末に強行したイギリス旅行の最初の巡礼地とした。プリマスとサルタッシュを結ぶ2連のレンズトラス橋という独特のフォルムを有する大迫力の橋で、1859年に完成した。日本では安政の大獄が起こっていた頃だ。ブルネルはこの橋の開通式への出席もかなわぬまま、同年に亡くなった。その時に掲げられたという橋門工のプレートに、しっかり名前が刻まれていることを確認した。この橋を一通り見上げたのちに、真横からたっぷり眺められるというテイマー橋の歩道に行こうとしたのだが、メンテナンスのためか通行止めになっていた。たいへん落胆したのだが、僕の橋梁巡礼は成立したことにしてもいいよね。

廃墟に刺さる折鶴

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ブリストルに宿泊した翌朝、再開発が進められているブリストル・テンプル・ミーズ駅の東側を、エイボン川に沿って少しだけ散策した。昨年完成したばかりというセント・フィリップス歩道橋(St. Philips Footbridge)を見るために。事前にたまたまチェックしていたArch Dailyの記事を見て、三つ叉のシャープなシルエットがかっこいいかもしれないと思ったのだ。しかし、どうも周辺の様子がわからない。たどり着けるのか不安な気持ちを抱えながら行ってみると、観光客が全く行かないような裏感満載の場所だった。

要塞か工場かは調べていないが、廃墟的佇まいの対岸は未整備エリアなので、この橋は対岸で閉ざされており、まだ本来の役割を果たしていない。ところがすでに落書きが満載なのだ。せっかくのシュッとした構造フォルムも素敵なおさまりのディテールも、デビュー前から台無し。供用前からすでに廃墟化が進んでいるようで、本当にいたたまれない気持ちになった。再開発が完了した際には、この橋も綺麗にしてもらえるんだよね、きっと。計画に関するネットの記事を雑に読むと、どうも二転三転しているような気配を感じるのだが。

Arch Dailyの記事には、竣工した瞬間であろうきれいな姿の写真のほか、折り鶴の絵が挿入されたスケッチや変化する断面形状を示した図などもあるので、興味がある方は参照していただきたいな。