今回はいつにも増して、極めて個人的なお話。
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ドイツのケンプテンを拠点に活躍していた構造エンジニアで、個人的にも親しい友人だった増渕基さんが、先週の3月5日に急逝しました。残されたご家族のご心痛をお察し申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げます。僕もいつでも彼の在りし日のことを思い出せるよう、個人的な記録をここに残しておきます。
この一週間、僕は抜け殻のようになってぼんやりと時間を過ごしたり、彼と出かけた際の写真を繰り返し眺めたり、SNSなどで彼とやりとりした記録を見返したりと、深い喪失感を味わってきた。うすうす気付いていたけど、僕は彼に憧れていたようだ。
それは僕がまだ会社員だった頃、彼が大学生アルバイトとして同じチームで一緒に仕事をしたときからすでに感じており、日本にとどまらず世界の構造デザインをリードする人物であることを確信していた。その次の職場でも彼に手伝ってもらう時期があり、さらに欧州滞在時にはずいぶんお世話になった。彼の思慮深い真摯な姿勢には、常に影響されてきたと感じる。その証拠に、僕の外部記憶装置であるこのブログには、彼に関する記載が随所にある。しばらく時間をかけて、それらをゆっくり振り返ってみよう。
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彼のツイートを起点として、何人かの方を巻き込みつつ「緑」の捉え方についてやりとりをした。その際の写真は、彼が運転をする車の助手席から撮ったものだ。「緑」に関しては人によって少しずつ意見が違うことが確認でき、なんとも頼もしく楽しい気分になった。
この橋のことは彼も気になっていたようで、すぐに調べて興味深い情報をもたらしてくれた。ドイツ橋梁界の巨人であるレオンハルトが関わっていたことを確認してくれた。PC橋では実施設計者としてではなく、コンサルタント的な立場(チェック・エンジニア)としてらしい。
橋梁専門誌に掲載された彼と僕との共著記事に、この橋の設計者であるマルテ氏へのインタビューの内容を盛り込んでくれた。僕は彼の自宅を拠点にした旅で、たまたまこの施工現場を見ることができた。彼にそのことを伝えると後日訪問したようで、なんともうれしい気持ちになった。
コンツェット氏によるトレッキングコースを彼とともに歩いたときは、本当に楽しく素晴らしい体験だった。そもそも彼がいなければ、実現することはなかっただろう。もちろん、共著記事のネタにすることが目的だったわけだが、その根底には、彼も僕も素晴らしい橋を体験したいというモチベーションがあったから。そんなことを共有できる友人は少ない。
コンツェット氏へのインタビューは、僕がケンプテンに遊びに行く算段をしているときに彼から提案された。彼は著名な構造設計家の設計思想を探ることを、まるでライフワークのように楽しんでいた節がある。僕としてはその姿勢にすっかり便乗したことで、とても美味しい場面を用意してもらうことができた。
このモニュメントは、僕がケンプテンからオーストリアに行った際に一度立ち寄った。その話を彼の自宅で話したところ、後にマルテ・マルテにもインタビューしに行くこともあり、早くも翌々日、フリムスに行く道中に再訪することに。
フェルトキルヒに行った際に見たこの橋のことを、彼に自慢げに話した。すると案の定、強い興味を持ったようだ。ほんの1ヶ月くらいで見に行ったように思う。そして、軽量化にまつわる話や洪水時の対応などを追加でいろいろ調べてくれた。こちらが思っていた以上にトリッキーな橋だった。
この橋は、彼が翻訳チームの一人である「Footbridges―構造・デザイン・歴史」に掲載されている。しかし、彼は未見だったということを知り、一緒に見に行くことに。ついでに下の高速道路も通って、さらについでにずっと先のチューリッヒまで送ってもらった。たいへん恐縮しつつも、本当に楽しい旅だった。
この橋のことは建築系のウェブサイトで知り、その後に実際に見に行ったという彼から情報をもらっていた。2016年にアルプスに行ったきっかけのひとつになった橋。だからこそ感慨深く、思い出深い。
彼が住んでいた街、ケンプテン。アルプスの麓の小さな街だけど、古い歴史があるばかりか、橋梁を中心に面白い土木施設がたくさんある。彼が日本に戻る前に再訪したいと思っていたのだけど、すでにそれはかなわなくなってしまった。
この発電所がつくられたとき、僕はオランダに住んでいたので、見に行きたいなあと思っていた。当時ベルリンに住んでいた彼がこの街に移り、わりと早くこの発電所に見学に行き、とてもうらやましく思ったことを、なんとなく記憶している。2016年に実現した見学では、全て彼が段取りしてくれて、さらに同行してくれて、たいへん助かった。
コンツェットへのインタビューに際してクールを訪問するにあたり、ここだけは立ち寄りたいと僕がお願いした教会。もちろん彼も興味深く同行してくれたわけだけど、しつこく見て回る僕の姿にあきれた様子を見せながらも、僕の気が済むまで待っていてくれたことが印象に残っている。
フリムスに行った日は彼の自宅から出発したのだが、朝からのんびりペースだった。僕がと言うよりも、彼が落ち着き払っていたのだ。そのため後半はずいぶん焦りつつも、たいへん印象深い旅になった。この記事を残していたことで、彼とアルプスの山を歩いた光景や心情を、鮮明に思い出すことができる。
この橋に至る行程や視点場は、彼から事前に教わっていた。このため、かなりスムーズに行くことができたのだが、あらかじめ聞いていたとおり、狭隘な山道であることに閉口した。この訪問時にはマルテ・マルテへのインタビューは、残念ながら実現しなかったものの、後日彼が実施したインタビューでいろんな疑問点を明らかにしてくれた。
ミュンヘンには2011年に行ったことがあるものの、大事な場所であるオリンピック競技場には行きそびれていた。彼のツイートやブログなどによって、あらためて行かなければならないという思いを強く抱き、しっかり見て回ることができた。
アルプス方面への旅に行くことができたのは、彼が導いてくれたためである。ケンプテンの彼の自宅を訪問できたことも、彼とともにアルプスの旅をしたことも、彼のご家族とともに時間を過ごせたことも、重要な体験として僕自身に刻まれている。本当に、心から感謝している。
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この夏から日本で仕事をすると聞いており、まさにこれからという機が熟した状態だった。そして、多くの方が今の日本に必要な人物であることを意識していたように感じる。それだけに、本当に残念でならない。