はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

山の中の塩

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お正月にスペインの山中で購入した、とても美味しい「塩」がそろそろ切れそうで困っている。地中の岩塩が溶け込んだ泉からつくられたミネラルたっぷりの塩を、思っていた以上に消費しているのだ。日本での購入も可能なようだけど、ずいぶん高くつくので二の足を踏んでいるんだよね。

この塩はバスク州アラバ県にあるアニャーナ塩谷で採集されている。狭い谷地に石垣や木製足場をたくさん構築して、棚田のような水平面を無理やり創出し、その上にを木製の水路を通している。この製塩の谷はすでに新石器時代に開かれ、中世には産業として成立していたという。一時は廃れたものを復元したようだが、このように土地に根ざした人為の眺めを文化的景観というのだな。

ブランディングも上手にやっているらしく、ビルバオなどの有名レストランが権利を持っている塩田もあるようだ。ガイドツアーに参加できず内部には行けなかったことは残念だったが、道路からこの圧倒的な風景を眺めるだけでも十分感動できたよ。

青森のオランダ

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八戸港の一部をなす新井田川の河口を豪快に跨ぐ八戸大橋は、おそらくこの都市の成り立ちを体感できる適地だろう。橋上をレンタカーで通過した際にそう感じたのだが、わざわざ車を降りて立ち寄るかどうかずいぶん悩んだ。なにしろ滞在時間も限られている状況で、地上からはそれなりの距離と高低差があるし、石油基地上に延々と続く落下物防止策によって視界も遮られるので。

それでも意を決してアプローチ部の桁下に行ってみると、迷っている場合ではなかったことを突きつけられた。まさかここはロッテルダムか?と疑いたくなるほど、ダッチ感に溢れているではないか。黄色と青のコンビネーションによる前衛的な配色、鋼橋と石油パイプラインという意外な要素の組み合わせ、極めて簡素なディテールが生み出す潔さ。ほとんど共感されることはないだろうが、個人的に魅力的だと思っているオランダの気配を感じてしまった。

八戸とオランダはなにか関係があるのかなあと思って調べようとしたとたんに、八戸港の計画に明治期にオランダから招聘したお雇い外国人のローウェンホルスト・ムルデルが関与していることが判明した。なんとそんなつながりがあっていたのか!とひとしきり感激したのだが、考えてみると近代日本の港湾整備や河川整備は全国レベルでオランダ人技士たちの影響が絶大なので、八戸に特有とは言えないよねえ。

ともかく、検索の途中で「八戸は青森のハワイ」という謎ワードを得つつも、個人的には「八戸は青森のオランダ」として勝手に認定したい。ちなみに地形的な面からすると、秋田の八郎潟はオランダそのものだったよ。

災害列島の心得

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つい先週に控えると書いたばかりなのだが、毎年のように発生している豪雨災害がどうしても気になってしまったので、またしても飛行機からの写真を。

昨年の今頃に発生した西日本豪雨からおよそ3週間後に九州方面に行った際、堤防の決壊によって極めて大きな被害が生じた倉敷市真備町の上空を通った。緑の中に忽然と土の色が広がる様子から、報道で知ったあの場所だと見た瞬間に理解した。あらためて写真を見てもその時のやりきれない気持ちがこみ上げてくるが、日本においてはどんな場所でも何らかの災害が起こりうることを、これからもしっかり意識しておきたい。

各種災害の激甚化に伴い、警報の表現や報道の仕方が模索され続けている。今年は「自らの命は自らで守る」といった言い回しが繰り返されている。それは進化と言ってもいいかもしれないが、同時に危機感や同調圧力を煽るような刺激的な言葉も年々エスカレートしていることが気になって仕方がない。「狼が来たぞ」と叫ぶまでもなく、刺激に対してはあっさり馴化してしまうのが人の心理なので。

インフラの整備の進捗に伴い、安全、安心、便利、快適などが、無自覚に手に入る状況になっている。それは社会を次のステップに進めるための推進力になるはずだが、同時に単純な思考停止にもつながっているように思う。「自らの命は自らで守る」という生物としての根源を、わざわざ他者から繰り返し言われなければならない状況にあるということを、噛みしめておく必要があろう。

ついでに「平和」という価値も似たような状況にある気がする。やはり「平和ボケ」は、ただのボケなんだと思う。理想論のみを振りかざして自らの思考停止を正当化する言説は、社会を停滞させるだけだよな。