はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

高低差の折り合い

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狭い敷地の中で円弧を描くように高低差を解消している階段とスロープ。エッジの効いた段差と滑らかな曲面の対比は、得も言われぬ緊張感がある。周辺も含めたコンクリートのブルータルな造形とテクスチャーが、より印象強いものにしている。

なんというか、ここにはある種の純粋さが内包されている気がするな。美の実現を目論んでいない場面で、個別の理屈が衝突して生まれた独特の面白さと言ってもいいかもしれないね。

こんな眺めはそこら中に存在している気もするが、いざ収集しようと思って探してみても、そう簡単に見つからない。もちろん検索してみたところで、そんな情報はどこにもないし。

どうやら、手がかりは高低差にありそうだ。つまり、地形と人工物との接点に生じる水平と鉛直の両方向での折り合いを探索すると見つかりやすい気がするのだ。まあそれだけではないと思うけど、着目ポイントがひとつでも明確になれば、まち歩きも解像度を上げた状態で楽しめるよね。

 

 

世界の設定

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小説、演劇、映画、ゲームといった創作物では、その世界観を構成する要素のパラメーターを、創造主がルールとして設定している。例えば、主人公の性格の形成要因とか、物体に作用する重力のありようとか、ドラゴンの生育環境とか。その設定が強固でなければ、世界が破綻してしまうもんね。

創作物を受け取る側は、自分の内側にある常識と対比させながら、その世界設定を理解していく。現実世界と同じルールだろうが、使い古されたお約束のルールだろうが、とんでもない方向に飛躍したルールだろうが、それらの理解のプロセス自体が創作物の面白さの一部と言っても差し支えないだろう。

創作物から得られる体験と旅行などで得られる景観体験とは、僕の中ではずいぶん近接しているように感じている。そもそも違う国や地域に行けば、自分の中のルールが適用できない場面に多々出くわすもんね。地域の成り立ちを創作物の世界設定と同じと捉えれば、リアルな景観を読み解く行為の面白さもスッと飲み込めるんじゃないだろうか。

もしかすると僕らが生きているこの現実の世界だって、誰かが設定しているのかもしれない。そう考えると、いつもの風景も少し違う角度から見ることができるだろうね。

マイナーな名橋

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富山地方鉄道立山駅の近くに、常願寺川を跨ぐ古い中路式の鋼ブレースドリブ・タイドアーチ橋がある。一目見ただけでも、ただものではない風格が漂っていることがわかる。この橋は、常願寺川水路橋(千寿橋)といい、橋梁エンジニアの増田淳の設計で、1931(昭和6)年に架けられたものだ。増田淳の業績は全国各地に多数あり、例えば、隅田川に架かる白鬚橋や千住大橋、淀川を跨ぐ十三大橋が挙げられる。

僕はこの橋のことを全く知らなかったのだが、立山カルデラを取材させてもらうために北陸地方整備局立山砂防事務所を訪問した際にチラリと見るなり気になって、職員の方に少し情報をいただいた。そして、立山カルデラに向かうトロッコから上の写真を撮った。そもそも立ち入り禁止エリアから、しかもトロッコからの写真なんて、かなりレアなんじゃないだろうか。たまたま別件で過去写真を捜索していた際にこの写真を見つけて、存在を忘れていたへそくりが見つかったかのように小躍りした。

ちゃんと調べていないのでなんとも言えないが、国や学会や県などの土木遺産に指定されていないのかなね。しっかりメンテナンスされているのだろうけど、もっとメジャーになってもいい橋だと思うな。