はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

構築家の展覧会

ふと気付くと、もう10月。行こう行こうと思って油断していた「ジャン・プルーヴェ展 椅子から建築まで」がもうすぐ終了してしまうという焦りから、目の前にある仕事を薄目でやり過ごして、重い腰をあげて行ってきた。これがうわさ通り、とても素敵な展覧会だった。大量の現物が持つ説得力は、やはりすごい。

個人的にジャン・プルーヴェという人物の実作を見たのは、10数年前にヴィトラ・キャンパス内にあるペトロール・ステーション(ガソリンスタンド)のみだったが、洗練された佇まいにすっかり魅了された記憶がある。その時の漠然とした印象が、今回の展覧会で明確な形で自分の中に取り込むことができた気分だ。

工場経営や自治体の長をこなすというマルチタレントっぷりにも驚いたが、なんと言っても「つくれないものをデザインしてはならない」というものづくりへの基本姿勢に感激した。それは、目の前の材料へ真摯に向き合い、そこに内在する各種の合理性を時間をかけて見極め、卓越したエレガンスさを発揮して解く態度。このあたりは、建築家と言うよりも、プロダクトデザイナーと捉えたほうがしっくりくる気がする。いや、それ以上に、橋を手がける構造デザイナーの態度に極めて近いのかな。そもそも自らのことを「構築家」と称していたことからも、親和性が高そうだし。そうすると、エレガンスさの実現に悩む土木の構造技術者たちにこそ、この展覧会を見てほしいね。いまさらで恐縮だけど。

そうそう。会場には若い方々がたくさん来ていて、この機会を逃すまいとじっくり展示物に向き合っている様子がとてもよかったな。僕も気が引き締まった。

 

 

鉄道連絡船

乗り物の中に乗り物がすっぽり入るという状況は、たいへん魅力的に感じる。自動車を船倉に入れて運ぶ「カーフェリー」はこれまで何度も体験したことがあるけれど、鉄道車両をそのまま船倉に入れる「鉄道車両渡船」は体験したことがない。ずいぶんスケールの大きい話なので、ちょっと理解しにくいよね。すでに廃止された航路だけど、鉄道連絡船のイメージを膨らませるのに適した場所に行ってきた。

僕が通っている床屋のご主人が、青森に行くなら「青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸」が楽しいよと勧めてくれたので立ち寄ってみたところ、想像していた以上に重厚な体験が得られた。前日に「青函トンネル記念館」に行ったことも大いにあるのだろう、北海道と本州の接続について、立体感を伴って理解することができたのだ。

廃止された青函連絡船をそのままミュージアムにしているこの施設。順路に従って歩いて行くと、まずはところ狭しと並べられたかつての青森を表現する原寸大ジオラマに威圧される。その後に、青函連絡船がなんたるかという一方的な動画展示、パネル展示、資料展示などがあり、このまま続くのはなかなか厳しいかもと思わせられる。しかし、操舵室などを抜けて甲板に出て煙突を改装した展望台に至ると、すっかり船らしい体験に変わる。なぜか青森ベイブリッジの技術展示の後に、鉄道車両が置かれた車両甲板に至り、鉄道連絡船だったことを体感させてくれる。その後は機関室などのマニアックな要素も堪能し、再び車両甲板を通過して順路は終了する。

さまざまな要素をごった煮にした古めかしいストロングスタイルの展示ではあるけれど、それらをまとめ上げる連絡船のリアリティの強度はすごいと感じたな。説得力が尋常ではない。青森を訪問する機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてはいかがだろうか。青森駅直結みたいなもんだし。

階段国道

車が通れない「階段」なのに「国道」。そんな道が竜飛崎にあることを、友人の松波さんが書いた『国道の謎』という本で十数年前に知り、いつか訪ねてみたいと思っていた。それがようやく今年の夏の旅行で実現した。青森県のウェブ情報によると、全長388.2m、段数362段、標高差約70mとのことである。喜び勇んで上り下りしたのだが、日頃の運動不足からヘトヘトになってしまった。

この旅で巡ったいくつかの施設や一部のウェブ記事の情報では、「当時の役人が、現場を見ずに国道に指定した」などという都市伝説がまことしやかに堂々と述べられているが、そんなわけないだろう。あらためて『国道の謎』を読み、国道指定の経緯と松波さんの推測を確認した。

ざっくり整理してみる。もともと小中学校の通学路の「里道」だった車両通行不能区間が県道に指定されたが、この県道はその他にも圧倒的に不通区間が多かったため、ここだけが取り立てて目立つものではなかった。1975(昭和50)年に国道339号に昇格して国庫が投入されることで整備が加速し、1984(昭和59)年に不通区間が解消された。さらにこの頃、青函トンネルの工事用車両が通るための道路も整備されたことで、暫定的に指定されたままだった階段国道の区間は抹消される準備が整った。ところがこの頃に階段国道の知名度が上がり、観光資源として残した方がいいという判断がなされたのではないかと、松波さんは指摘している。さらに、その認識を生んだ要因は、国道標識(通称おにぎり)の存在があったからではないだろうかと述べている。たった数本の国道標識の設置が、極めて珍妙な観光資源を生み出したというコスパに優れる話は、とても納得がいく。

いずれにしても、僕自身もこの階段を青函トンネル記念館をセットで訪問した観光客だ。謎めいた国道は、十分に魅力的な観光地だった。