「量より質」はある場面では正しいと思うけど、それって結果の話なんじゃないかな。特に何かの価値を生み出そうとする場合、「量から質が生まれる」ことの方が正しいんじゃないかと思う。それどころか「圧倒的な量は、質そのものになる」という気もするな、経験的に。なんてことを言ってみても、この圧倒的な「量」の室外機群から「質」を汲み取るのは、なかなか容易ではない。
松江市内をレンタカーで走っていたところ、このホテルがチラリと視界に入った。スケジュールが押し気味だったので、見なかったことにしようかと悶々と考えた後に、急遽引き返して見に行った。とにかく「すごい」わけだが、いままで愛でてきた室外機群(バックヤード通り、室外機パラダイス、群生する箱、音楽的室外機、など)とは何かが異なるように感じた。
ちゃんと考えれば解けたはずなのに、自己都合を他人に押しつけつつ、中途半端に浅い思慮で別の方向に突っ走ってしまった残念さというか。はいはい言われたとおりにやりましたよ、こんなもんでいいんでしょ、という責任感やプロ意識や良識などの希薄さというか。とにかく涼しくしたいんだというピュアな衝動や、場当たり的ながらも何とかしよう熱いマインドが感じられず、妙に冷めているところがイラッとくるのかなあ。とにかく量は「すごい」わけなので、どこかに価値があるんじゃないかという期待はあるのだけど。