流山おおたかの森駅の前に、新たなビルがつくられた。その外側には開かれたバルコニーのような階段が付帯しており、とても気持ちの良い眺望体験によって、駅前広場の空間を印象的なものにしている。
既存の建物とは、緩やかな円弧を描くデッキで接続されている。円弧の外側に鋼トラスが配置され、それを含む桁の主要部材は板材で覆われている。橋脚も桁の中心から外側に配置されている。新たな建物と同様、このデッキを渡る体験によって自然と駅前広場に意識が向く空間構成になっている。
このデッキを楽しみながら見て渡った一方で、少しモニョモニョしてしまった。なんというか、もったいないなあという気分。公共事業としての橋に関わってきた身からすると、土木と建築の構造に対するアプローチの違いを過度に感じてしまったのだ。
なにしろ主構造は装飾部材によって覆い隠されてしまい、支間割は力学的な合理性に基づいているわけではなく、橋脚と桁とは半ば強引に剛結されている。この立地条件なら、あんなことやこんなことに工夫を凝らして、軽量で透明性の高い構造デザインが実現しそうなのになあなんて、ついつい妄想してしまう。
逆に、いかにしてユーザーの体験を良いものにするかという命題を解く姿勢は、民間事業が中心の建築には不可欠だろう。それこそ、土木には慢性的に不足している観点だ。こうしたことの積み重ねが、装飾、耐用年数、調達方法、公共空間の捉え方などの違いに大いに影響してくるのだろうね。
まあごく普通の人からすれば、建築と土木の違いなんて全く意識しないだろうし、そもそも構造デザインという価値観は、言われてみなければ意識できないものだろうな。