はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

夏の旅の大団円

この夏は、およそ3年半ぶりに海外旅行に行ってきた。行き先はフィンランドのヘルシンキとエストニアのタリン。コロナや円安や戦争などの影響で跳ね上がっている渡航費を少しでも浮かせるべく、貯まっていたマイレージでお得な航空券を半年以上前にゲットした。その結果、いつものせわしないドボク旅にはならなかったが、比較的落ち着きのある観光旅行が実現できた。次の旅に向けての意欲も沸いてきたので、良いリハビリになったのではないだろうか。旅の最終盤に奇跡的な体験ができたので、メモを残しておく。

帰国日の前日、夕食後にホテルに帰ろうとトラムに乗ったのだが、なぜか規定のコースを外れて、想定外の方向へ。少々ドキドキしつつもトラムの動きをじっくり観察して、正しい路線に乗り換えられるヘルシンキ大聖堂の前で途中下車した。すると、そこには見たこともない光景が広がっていた。

大聖堂の大階段を群衆が埋め尽くしていたのだ。しかも、高度な秩序を保ったまま。よく見ると、あちこちにひまわりの花やウクライナ国旗が。どうやら、ウクライナ独立記念日に平和を祈り連帯を示す行進の終着点として、集会が行われていたらしい。これがロシアの隣国のリアリティなのか。

その様子を見届けてトラムの停留所に向かおうとした矢先、大階段の人々が大合唱をはじめた。その曲は、シベリウスのフィンランディアの一節。それはあまりにも美しく、神々しく、心を揺さぶるものだった。

この曲が作られた1899年当時、フィンランドは帝政ロシアの圧政に苦しめられており、さかんに独立運動が起こっていたとのこと。その後の1941年、ソ連侵攻に耐えていた最中に賛歌として編曲され歌詞がつけられ、第2の国歌として広く親しまれているという。つまりフィンランドの人々にとって、大きな意味合いを持つ歌なのだ。

偶然にも、この大合唱を体験する時間を得たことだけで、旅をした甲斐があったというものだ。