はちまドボク

何かからはみ出した、もうひとつの風景

イタリア広場の啓示

平日の午後、仕事をするふりをして上野の東京都美術館で開催されている「デ・キリコ展」に行ってきた。それなりに来場者は多かったが、鑑賞時にプレッシャーを感じるほどではなかった。全作品をしっかり眺め、全キャプションをゆっくり読み、オーディオガイドをじっくり聞いた。これほどたっぷり時間かけて美術鑑賞をしたのは、久しぶりかもしれない。

これが、自分のルーツのひとつに触れられた素晴らしい体験だった。自分が子どもの頃、おそらく美術の教科書だったと思うが、デ・キリコの『不安を与えるミューズたち』に心を鷲掴みにされたことを、本物の作品の前で思い出したのだ。かつて受けた衝撃や懐かしさが入り乱れながら。違和感満載のパース、寂寥感のある広い空間、やたらと長い影、濃厚でポップな色彩、顔のパーツがないのに憂いを感じるマヌカンなど、夢の世界のような非現実感に、あらためて感じ入った。

これまでデ・キリコについて詳しく知る機会をつくってこなかったことは大いに反省するとしても、今回の展覧会でいろいろ繋がった。長い作家生活における変容や、それぞれの時代背景をしっかり伝えてくれる展示だった。形而上絵画の発祥、シュルレアリズムとの関係、伝統や秩序への回帰、セルフカバーの繰り返し、戦争との関係などが示され、それらが自分の知識と結びついていく感覚がとても楽しかった。ここ数ヶ月の間に、古代ギリシャやルネサンス美術の専門家の方々からお話をじっくり伺っていたことも、大いに役立った。さらに、このところ考えているものの見方や見え方について、大きなヒントを得ることができたな。

見慣れているはずのフィレンツェの広場が、初めて見る景色であるかのような感覚に襲われたことが形而上絵画の啓示になったとのことだ。この心理現象は「既視感=デジャヴュ」の反対の「未視感=ジャメヴュ」とか、全体性が保てなくなる「ゲシュタルト崩壊」なのかもしれない。その感覚は、トリノの広場で頻繁に起こるらしいので、過去の写真を眺め直してみた。言われてみるとそんな気分になってきた。

そうそう、デ・キリコって彫刻も制作していたんだね。あのマヌカンたちがしっかり立体物になっていて驚いたな。歪んだパースがうっすら背後に見えてくる、すごい造形作品だったよ。ちなみに「デ・キリコ展」は、8月29日まで。