あいかわらず、壁鑑賞を続けている。それどころか、勢い余って壁の写真集をつくり、壁の写真を展示することにした。今週末から始まる大学祭というイベントに、大学教員の立場を利用して、自分の研究室の学生たちが運営する展示販売コーナーにこっそり紛れ込むという、大人げない公私混同のプロジェクトだ。いやあ、形が見えてくると、思っていた以上にワクワクするね。
自分の中での目的は、物体としての写真を人目にさらすことだ。これまでも書籍やウェブなどで自分が撮った写真を大量に使ってきたが、もう一歩踏み込んで、「作品」としての写真に取り組もうというチャレンジだ。僕は写真の知識や技術を培ってきたわけではないし、そこを勝負所にするつもりもない。やりたいことは、写真というツールが「ものの見方」を豊かにするトレーニングに適しているという考えを、身を持って実践すること。これまでは自分に言い訳ばかりして、正面から向き合うことを避けてきたんだけど、ようやく覚悟ができたというわけだ。
題材に「壁」を選んだ理由は、僕がデザイン教育のテーマとして抱いている「具体と抽象を自在に行き来する能力を身につける」ことを実践しやすいと考えているためだ。具体的な二次元の表層が起点となり、抽象度を増しながら掘り下げていくプロセスが強制されるので。いちおう、大学祭という場を意識しているんだな、これが。そこに、これまで大量にストックしてきた壁写真を整理して、概念化したい気持ちが重なった。実体がある形式でアウトプットすることは、腑に落ちる体験を得やすいこともあり、重い腰をなんとか上げた。
そんなわけで、大学院生に編集とデザインを担当してもらい、写真集をギリギリ完成させた。彼女からは「先生のキモさを前面に出すように」という方針をいただいていたので、各節に謎の三行ポエムを配し、気持ちが前のめりになったステートメントを書いた。どうなることやらと不安に思ったが、出来上がってみると抽象度の高い写真といいバランスになった気がする。やはり冴えた編集者の存在は重要だよなあ。
前回に引き続き、自分のために壁鑑賞の経緯をまとめようと思ったが、最初のきっかけしか書くことがないことに気付いた。それは明確で、2007年10月、杉浦貴美子さんとまち歩きをしたことが契機となった。僕には見えない豊かな壁の風景が、彼女にははっきり見えていることに、大きな衝撃を受けて、僕も見よう見まねで壁写真をはじめた。壁面に正対して写真を撮るというスタイルは、この時点ですでに確定している。彼女の平面に対するまなざしは、『壁の本』(杉浦貴美子、洋泉社、2009)にまとめられているが、残念ながらすでに絶版になっている。こちらのサイト『壁 wall』は更新が止まっているものの、閲覧することができる。
壁写真を撮り続けるうちに、杉浦さんの写真とは異なるテイストになってきた。それは、壁面との距離の違いと言えるかも知れない。彼女の写真はディテールを捉えるものが多いが、僕は全体を見ようとするものが多い。そのあたりは、思考のクセみたいなものが反映されるのだろうね。
なにはともあれ、いったんアウトプットした。これを再取り込みすることで、ようやく自分の中でなにかがまとまってくるだろうな。そうならないかもしれないが。